葛西福音キリスト教会説教20210711
1.テキスト「Ⅱサムエル18:28~33」
2.タイトル「赦すとは」
ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに」
4.本文「赦すとは」
序) 「赦すという試練」
赦すということは困難なことだと思いませんか。それは試練とも言えるかもしれません。G.L.シッツアーさんはその体験を著書「愛する人を失うとき」(朝倉秀之訳・教文館)に記しています。突然、家族三人と車で帰宅途中、飲酒運転でコントロールを失った車に正面衝突されたのです。そして愛する妻と母、娘を一瞬にして失いました。その事故の瞬間を「まるでスローモーションで起こっているかのように、あの事故直後の最初の一瞬、一瞬を覚えている。恐ろしいまでに生々しく私の記憶に焼き付いています」と。そして、大切な妻と娘、母の三人のいのちは奪われました。「私は妻リンダと、四歳の娘ダイアナ・ジェーンと、母グレースの、意識のない折れ曲がった身体を見た」と。それは突然ふりかかる「喪失」の体験でした。彼はその時を境に一変した生活を受け入れ、折り合いをつけるために苦闘します。それは彼にとって愛するとは、赦すとはどういうことなのかを知る、試練でもありました。
本論) 「赦すとは」
Ⅰ.「ダビデの後悔の叫び」
聖書にはダビデの赦すことに失敗し、息子を失った叫びが記されています。
(Ⅱサムエル18:33)
『すると王は身震いして、門の屋上に上り、そこで泣いた。彼は泣きながら、こう言い続けた。「わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ」』。
なぜ、ダビデは愛する息子アブシャロムと戦い、そして息子を失うことになったのでしょうか。ダビデはアブシャロムを心底愛していましたが、自分の後継者の長男アムノンを殺害したことを、とうしても赦すことができなかったのです。アブシャロムの死を嘆き、「私がおまえに代って死ねばよかったのに」と悔いるダビデのことばから、赦すことの難しさを思い知らされます。また、冒頭でご紹介したG.L.シッツアーさんもご自身の体験を記した「愛する人を失うとき」でも、赦しと怒りの間で苦悩します。それはシッツアーさんの心の中での戦いでもありました。飲酒運転の加害者を赦そう、愛そうとすればするほど、正義で相手を裁き、怒りで爆発しそうになるのでした。
Ⅱ.「赦すとは」
赦すとはどういうことなのでしょうか。ある牧師が説いていました。「赦しとは、人生で起こった出来事を自分の人生の一部として受け入れていく過程だと言える」と。それはイエスは放蕩息子のたとえに見られるものです。たとえの中で父と息子の愛と赦しがこのように語られました。
(ルカ15:20)
「こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。」
イエスのたとえ話の中の父親は、放蕩息子が何もかも失い後悔し、父の家に雇い人としてでも受け入れてほしいとの謙遜な心で帰って来た息子に対して、家で待っていて、息子の謝罪を聞いてから家の扉を開ける父親ではありませんでした。「まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした」と。父親は息子の裏切りと誤りの人生を、自らの人生の一部として受け入れたからこそ、息子を赦し、家族の一員として取り戻すことができたのです。
ですから、父ダビデが息子アブシャロムのために「代わって死ねばよかったの」です。もちろん、実際に死ぬことではなく、死ぬ気で息子を受け入れ、関わる必要があったのです。そうして息子アブシャロムの罪と誤りに満ちた人生を、神に選ばれしダビデの栄光の人生の一部とすることでした。
先ほどの牧師も赦しについて、人生の苦難を乗り越え、未来に向かって歩き出すためには「赦し」は不可欠なのだと。いつまでも過去の辛く悲しい出来事に心がつながれたままでは、「赦さない」という自らの選択によって未来の可能性を壊してしまうことになると。しかしダビデの人生は、長男アムノンの死で止まったままになっていたのです。
では、私たちが愛と赦しに生きるには、何が必要なのでしょうか。
Ⅲ「神の愛と赦しに生きる」
それはイエス・キリストを知り、信じ、そして従うことでのみ可能なのです。なぜなら、聖書の神は、私たちの罪深い人生を、イエス・キリストの十字架を通して、神の栄光の人生に受け入れてくださったからです。聖書は教えます。
(ヨハネ3:16)
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
私たちは信仰を通して、永遠のいのちという神の栄光の人生に加えられたのです。ですから、聖書は私たちに愛と赦しに生きるように、大胆にも勧めるのです。
(Ⅰヨハネ4:7)
「愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。」
勧め)「赦すとは」
私たちが愛と赦しに生きようとするとき、それは困難な道なのです。まず、私たち一人ひとりが神の
愛と赦しをいただくことが必要なのです。ですから、イエスの十字架を信じてください。そうするとき、私たちは新しくされ、夫や妻を、また息子や娘、そして両親や親戚、会社の人や出会う人々を愛することができるのです。
また、まだイエス・キリストを信じておられない方には、信じていただきたいと願います。神はあなたの人生を新しくされ、神の栄光の人生に加えて下さるのです。これまで、両親から、また会社から自分の生き方や人生を否定されていると感じているとしても、イエスの十字架を信じるならば、必ずあなたの生き方や人生は新しく変わります。神はあなたの生き方や人生を見捨てないお方だからです。
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