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福音伝道教団

葛西福音キリスト教会 説教


タイトル

関係を修復するヒント

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タイトル

 

関係を修復するヒント

 

 「生きにくさを感じる人間関係」

 皆さん、生きにくさを感じていませんか。多くの人が人間関係に悩み、生きにくさを感じているのではないでしょうか。夫婦でも、家族でも、会社や学校、地域社会でも、私たちは生きていくうえで、山奥にでも引きこもらない限り、人間関係とは縁を切ることはできません。

 ですから、人間関係に生きにくさを感じている人も多いのではないでしょうか。

 

 「問題解決のヒントは、見えないものに目を留めることにある」

聖書は、私たちに神様との関係を修復する方法を教えてくれると同時に、人間の関係修復にもヒントを与えてくれます。そのヒントについて聖書はこのような神様の約束のおことばを教えます。

 

(第二コリント4章18節)

「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」

 

 この神様の約束のおことばは教えます。問題の解決や対策で大切なことは「見えるものにではなく、見えないものに目を留めること」だと。その理由は「見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです」と教えます。このことばは、非常に意味深く感じます。聖書の教えなので、神様に対する人間や教会への教えであることが第一です。しかし、同時に、一般社会においても大切なことを教える言葉だと私は思います。すなわち、物事の本質の見極めが大切であり、移り変わり行く表面的な物事にとらわれないようにとの戒めを教えられるからです。

すなわち、相手が神様でも、人間でも、その関係修復に大切なものの多くは「見えないもの」に原因があり、お金や物など、見えるもので修復できる関係は一時的であり、いつまでも続くものではないと教えられるのではないでしょうか。

 

本日は 「関係を修復するヒント」として二つのことを聖書からお話しさせていただきます。

最初のヒントは「私たちの他人へのまなざし」。次のヒントは「私たちの心の治め方」です。

 

「私たちの他人へのまなざし」

では、最初のヒント「私たちの他人へのまなざし」です。

私たちの他人へのまなざしを変えることによって、「関係を修復するヒント」を聖書は教えています。そのイエス様の教えが聖書にはこのように書かれています。

 

(ルカ福音書6)

(41)「あなたは、兄弟の目にあるちりが見えながら、どうして自分の目にある梁(はり)には気がつかないのですか。」

(42)「自分の目にある梁(はり)が見えずに、どうして兄弟に、『兄弟。あなたの目のちりを取らせてください』と言えますか。偽善者たち。まず自分の目から梁(はり)を取りのけなさい。そうしてこそ、兄弟の目のちりがはっきり見えて、取りのけることができるのです。」

 

イエス様が教えたいと願われたのは、私たちは皆、それぞれの自分勝手な価値基準で生きているということです。そして、聖書は完全な人は誰もいないこと。また、人は皆、的外れな生き方をしているとも聖書は教えています。

ですから、自分ではどれだけ物事をまっすぐに正しく見ていると思ってはいても、人は皆、どこか的外れなものの見方をし、自分基準の価値判断で相手を評価し、そして批判してしまう可能性を持っています。

ですから、たやすく他人を批判しがちではないですか。その批判された相手は、非常な不愉快な気分にさせられているのではないでしょうか。あなたは他人の欠点がよく見えませんか。家族の欠点が、同僚や友達の欠点が目に付いてしょうがないということはありませんか。

イエス様はその私たちのまなざしを正しくするヒントをこのように教えられました。

 

(ルカ福音書642)

「まず自分の目から梁(はり)を取りのけなさい。そうしてこそ、兄弟の目のちりがはっきり見えて、取りのけることができるのです。」

 

私たちは自分の中にある的外れな部分、聖書ではそれを罪と言いますが、その罪の解決こそ、私たちのまなざしを正しくし、正しく相手やものを評価することができるのです。そうすれば「人間関係の修復」をすることができるのです。

聖書にはこのように記されています。

 

(マタイ福音書121)

「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」

 

このおことばは、イエス・キリストがお生まれになられる前、天使がマリヤを訪れ、イエスを信じる者が罪から救われるとの神様の約束のおことばを伝えたものです。

ですから、他人のあら捜し、冷ややかな批評、陰口、そして何ら建設的なものを持っていないという人はいませんか。そのような人はイエス様を信じてください。そうするならば罪から救われて、その的外れな見え方や考え方、価値観が正しくされ、正しいまなざしで相手をみることができるのです。そのとき、はじめて、良好な人間関係があなたの周囲から広がることでしょう。

 

「私たちの心の治め方」

次のヒントは「私たちの心の治め方」です。

 「関係を修復するヒント」として、聖書は「私たちの心の治め方」を教えてくれています。では、なぜ、心の問題は様々な関係を困難にするのでしょうか。

 

「悪は心に宿る」

聖書はいくつかの箇所で、人の悪は心に宿り、心から発すると教えています。私たちの心に悪が宿っているからです。その心から悪がことばや行いとなって出て来るのです。

 

(詩篇79)「どうか、悪者の悪があとを絶ち、・・・。正しい神は、心と思いを調べられます。」

 

神様は悪者を裁くため、その人の心と思いを調べられます。心に悪が宿るからです。また他にもたくさんの箇所があります。

 

(詩篇283)「彼らは隣人と平和を語りながら、その心には悪があるのです。」

(詩篇361)「罪は悪者の心の中に語りかける。」

(詩篇1402)「彼らは心の中で悪をたくらみ、・・・戦いを仕掛けています。」

(箴言614)「そのねじれた心は、いつも悪を計り、争いをまき散らす。」

 

 よこしまな者、不法の者のねじれた心は、いつも悪を計り、争いをまき散らすのです。また、まやかしを吹聴する偽りの証人、兄弟の間に争いをひき起こす者の心について聖書はこのように教えます。

 

(箴言618)「邪悪な計画を細工する心」

 

同じように、イエス様も私たちの悪い行いや悪い考え、悪口などは、私たちの内側の心から生まれて、外側に実になって出ると、次のように教えています。

 

(ルカ福音書6)

(44)「木はどれでも、その実によってわかるものです。いばらからいちじくは取れず、野ばらからぶどうを集めることはできません。」

(45)「良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すからです。」

 

悪い心の象徴として「いばら」と述べられています。いばらは鋭いとげのあるもの、刺すもの、傷つけるものです。周囲の人や物を傷つけ、悲しませる鋭いとげは私たちの心から生まれるのです。ですから、聖書は良い人間関係を結ぶ生き方として、このように勧めます。

 

(エペソ人への手紙4)

(31)「無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。」

(32)「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」

 

神様の赦しを受ける時、はじめて私たちは悪意を捨て去ることができるのです。イエス様を信じるなら、私たちの悪い心はきよめていただけます。聖書には神様の約束のおことばがあります。

 

(使徒の働き159)「彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。」

 

私たちは外ではおとなしく、礼儀正しく振舞っていても、家に帰ると短気であったり、気難しくあったりしないでしょうか。私たちの心にも「いばら」が生えているのではないでしょうか。妻に対するイライラ、夫に対するイライラ、会社、学校に対するイライラなど、これらのものすべて、心のいばらが原因なのです。そのような心のイバラは必ず毒性をもち、私たちの周囲の人々、そして私たち自身をも傷つけるのです。とくにそれは、私たちの口からことばのトゲとなって人を傷つけるのです。

しかし、イエス様を信じるならイバラの心も信仰によって赦され、きよめられるのです。

 

祈りましょう。あなたの御名を信じて祈ります。

      どうか、コロナウイルスから世界が救われますように。

      今困難な中にいる、私たちの健康と暮らしが守られますように。

      私たちのまなざしと心が、神様を信じることで正しくされますように。

      私たちの周りの人間関係が修復し、家族や学校、会社、地域社会が幸いになりますように。

 

 

 イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン