新約聖書から神様の愛をあなたへ

福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

「荒野の試み」

葛西説教20220612説教②

1.テキスト「マタイ4:1-11

2.タイトル「荒野の試み」

3.中心聖句「マタイ4:10

「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ』と書いてある。」

 

4. 本文「荒野の試み」

序)「イエス様の試練の意味」

 イエス様の試練の意味とは何でしょうか。それは私たちの試練への励ましなのです。

 私たちは、日々の生活の中で絶えず試みにあう。そして、その試練の中で苦しみ、悩み、自らの力なさを知って絶望する。しかし、私たちより前に、主イエス様が試みにあわれた。この荒野の試みがそれであり、さらに十字架の苦難へと続いていくのです。

 主がまず私たちのために試みられ、苦しまれたからこそ、試練の中にある私たちを助けることができるのです。

(ヘブル 2:18)『主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。』と。

 すべてのことについて私たちと同じように試練にあわれた主は、大祭司として、私たちの弱さを思いやってくださるのです

(ヘブル4:15)『私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです』と。

 

本論)「荒野の試み」

 先週はペンテコステの記念日でした。イエス様がヨルダン川で洗礼を受けられたところを学びました。その後どうされたでしょうか。一緒に学びましょう。

 

Ⅰ.「空腹になられたイエス様」

 洗礼を受けられたイエス様は聖霊に満たされて、荒野に出て行かれました。それは、悪魔の誘惑を受けられるためでした。

 イエス様は、四十日四十夜、断食をされました。断食というのは、何も食べないでお祈りをすることです。四十日たってから、2節、イエス様は空腹を感じられました。

 イエス様は神の御子だから、空腹になることはなかったでしょうか。いいえ、イエス様は、私たちと同じ人間になられたのです。ですから、私たちと同じような弱さを持っておられました。私たちのようにお腹もすき、のども渇き、痛みも感じ、涙も流されたのです。罪は犯されませんでしたが、私たちと同じ弱い人間となってくださいました。

Ⅱ.「御霊の与える剣、みことばによる勝利」

 イエス様が弱さを覚えられたとき、すかさず悪魔がささやいてきました。悪魔は、イエス様に「石をパンに変えてごらんなさい」と言ってきました。もちろんイエス様は、そうしようと思えばできたでしょう。しかし、悪魔の言うことに従うイエス様ではありませんでした。イエス様は、「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と(聖書に)書いてある」と言われて、誘惑を退けられました。

 しかし、それで引き下がる悪魔ではありません。イエス様を神殿の頂上に立たせ、「飛び降りてごらんなさい。聖書にはみ使いが支えてくれると書いてあるから」言いました。悪魔も聖書のことばを使うのですね。しかし、イエス様は悪魔の心のうちをご存じでした。「聖書には『主なる神を試みてはならない』とも書いてある」と言われ、その誘いにはのられませんでした。

 こうなると悪魔は、最後の手段を使います。イエス様を高い山に連れて行き、この世の繁栄ぶりを見せて、「おれを拝んだら、栄えているこの世を全部おまえにやろう」と、なりふり構わずに挑みかかりました。しかしイエス様は、厳しく叱りつけて、「サタンよ、退け、聖書には『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」と言われました。

 こうしてイエス様は、悪魔の誘惑に勝利されました。何によって勝たれたのでしょうか。みことばによってです。イエス様は、いつもみことばに従っておられましたから、いつでもみことばを使って悪魔に勝つことができたのです。

 

Ⅲ.「神様にだけに仕える者へ」

 悪魔の目的は、私たちが、神様だけに仕えないようにすることです。そうして本当の神様ではない偶像を拝むように、神様を大切にするより、お金や遊びを大切にするように、また教会に行くより、遊びに行く方を選ぶようにと、私たちを誘惑してきます。そんな悪魔の誘惑に負けないようにしましょう。主なる私たちの神様にだけ仕える者になりましょう。

 

勧め)「荒野の試み」

 聖書のみことばは、御霊が与える神様の剣です(エペソ6:17)。イエス様は、みことばという剣によって悪魔の誘惑に勝たれました。私たちも、みことばによって勝つことができます。私たちもイエス様のように、みことばに従っているなら、イエス様のように、いつも悪魔に勝つことができるのです。