新約聖書から神の愛をあなたへ

福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

「今をどう生きるか」

1.テキスト「ルカ16:1931

2.タイトル「今をどう生きるか」

3.中心聖句「Ⅱコリント6:2

「今は恵みの時、今は救いの日です。」

4本文「今をどう生きるか」

)「今と死後はつながっている」

本日のテキストの語りかけに耳を傾けながら、昔見たアニメを思い出しました。それは日曜日の夕方にやっていた『フランダースの犬』というアニメです。『フランダースの犬』は、イギリスの作家ウィダーが19世紀に書いた児童文学です。貧しい少年ネロと犬のパトラッシュの友情を描いた悲劇で、19世紀のベルギー北部のフランドル地方が舞台とされます。現地には当時風車小屋もあり、さらに物語に登場するネロの憧れの少女アロアのモデルと思われる12歳の娘が領主にいた事、物語の最後にネロを葬った教会が現存する事が記事となっているそうです(朝日新聞 昭和60322)

 ラストシーンは、主人公ネロがクリスマス前夜にすべての希望が失われて絶望します。しかし、これまでは金銭的な余裕がなく見られなかった大聖堂のルーベンスの祭壇画を、雲間から射した一筋の月あかりの中パトラッシュと見ることができました。ネロの念願は果たされ、神に感謝の祈りをささげながら凍死します。アニメでは天使たちがネロとパトラッシュを迎えに来て、光り輝く天国に彼らを導きました。

ネロたちも、本日のテキストからも生前は報われない人生を歩むとしても、それで人の人生は終わらないことを知ってほしいのです。人の死後に今の生き方の報酬を神から受け取ることがあることを知って欲しいのです。そして「今をどう生きるか」の答えとして、「今は恵みの時、今は救いの日です。」(Ⅱコリント6:2)と知り、イエスを信じていただきたいのです。

 

本論) 「今をどう生きるか」

 だから「今をどう生きるか」、それは切実な問いかけです。2022年度のみことば「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです」(ピリピ2:13)も、本日のテキストを通して、私たちに向けて問いかけているのです。熱心なクリスチャンであった両親が、日曜日夕方の伝道集会に出席している間、家でアニメの『フランダースの犬』を見ていたような私です。今、私は悔改めながら、神から私たちへの切実な問いかけとして、聖書をお語りします。私たちは「今をどう生きるか」!

 

Ⅰ.「ある金持ちと貧しいラザロの生き方」

 ある金持ちがいました。イエスはこのように紹介します。

 「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。」と。(ルカ16:19)

 

 金持ちは法律を破っていませんでした。しかし、豊かさのシンボルの高価な「紫の衣」の上着、エジプト産「細布」の下着を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていました。もちろん、お金それ自身が罪ではありません。

 ところが、その金持ちの門前には貧しいラザロという人がいました。イエスは言います。

「ところが、その門前にラザロという全身おできの貧しい人が寝ていて、金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。」(ルカ16:20-21)

 金持ちに問われた罪は、ただ自宅門前の貧しい人を放置していたという事実でした。

 

Ⅱ.「死後の二人が置かれた待遇」

 ある日、貧しいラザロは死にました。おそらく、彼は看取られることもなく死を迎え、葬られることもなかったと考えられます。しかし、神は彼を愛し、彼の味方でした。

「この貧しい人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。」と。

(ルカ16:22)

 ラザロは、あのネロとパトラッシュと同じようにみ使いたちに天国に導かれたのです。

 では、あの金持ちの死後はどうなったのでしょうか。彼はおそらく、家族や多くの人によって金持ちらしく盛大な葬儀でおくられたでしょうが、死後はハデスで炎の中で苦しんでいました。

このお金持ちは、生きている間は良い物を受け、富と快楽のために生きました。欠けていたのは、苦しむ人に何もしないことでした。そこに罪があったのです。すなわち、愛が欠けていたのです。それに対して、ラザロは極貧の中で苦しい人生でした。しかし、彼は与えられることを願いましたが、けっして盗んだりして罪は犯しませんでした。「食卓から落ちる物」とは一説には、食後テーブル掃除用のパンくずとも言われています。また、物語ではありますが、『フランダースの犬』の主人公ネロも大金の入った財布を拾います。それは自分を憎み冷たくした人の財布です。しかし、彼はその財布を届けます。そして大聖堂で、神に感謝の祈りをささげながら死を迎えました。

 

Ⅲ.「今をどう生きるか」

 金持ちは、自分のことはあきらめて、生きている家族の五人の兄弟の救いについて助けを求めます。

それに対して「もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。」(ルカ16:31)と言われてしまいます。

 すなわち、開かれ、語られている聖書のみことばに聞き従わないならば、どんな奇跡が行われても人々は救われないと断言されたのです。この言葉の通り、よみがえったラザロを見てもイエスを信じない人々もいました。

 

勧め) 「今をどう生きるか」

人間は死んだ後が大切です。神はおられ、私たちはその御前に立たなければならないのです。ですから悔い改めてイエスを信じ、救いを受けてください。私たちは問われているのです。「今をどう生きるか」がです。そして「今をどう生きるか」の答えとして、「今は恵みの時、今は救いの日です。」(Ⅱコリント6:2)と知り、そしてイエスを信じましょう。