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福音伝道教団

葛西福音キリスト教会 説教

葛西福音キリスト教会(2020年5月31日)聖書の話


タイトル

つまずかない人生


聖書のお話し その①

聖書のお話し その②


タイトル

つまずかない人生

  中心聖句「ヨハネの福音書161節」

 

「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがつまずくことのないためです。」

  

本日は多くの教会ではペンテコステといって、神様から私たちを助けてくださる聖霊様が、神様を信じる一人一人にいただいたことを記念してお祝いする日です。その意味について皆様に知っていただきたいのと、その「助け主」聖霊様がどれだけ私たちの人生の助けとなるか、人生のつまずきの助けとなるかをお話ししたいと思います。

 

 皆さんも自分や家族の人生にはつまずきは避けたいものだとお考えではないでしょうか。おそらく、すべての人が自分や家族の人生には、逆風ではなく、順風満帆(じゅんぷうまんぱん)でありたいとお考えではないでしょうか。

  

順風満帆とは、物事がすべて順調に進行することのたとえです。イメージ的には、追い風を帆いっぱいに受けて、船が軽快に進む人生です。「順風」とは人や船が進む方向に吹く風。追い風のこと。「満帆」は帆をいっぱいに張ること。

 

 

  1.「昔の人の知恵のことば」

 

 日本にはたくさんの昔の人の知恵のことばが教えられています。

 

 その中には、不安になるというか、身の引き締まることばがあります。私が幼いころに聞いたものでは、「男は敷居を跨げば七人の敵あり」というものです。これは 石田三成が七人の武将から襲われた故事から生じたという説もあることばです。このような言葉を聞くと、外に出る時には気を付けないと思います。

  

他にも「犬も歩けば棒に当たる」ということばもありますが、これは二通りの意味があるとされることばです。一つは、何かをしようとすれば、何かと災難に遭うことも多いというたとえ。また別には、出歩けば思わぬ幸運に出会うことのたとえ、と期待と不安の交差することばですね。

 

少し前のドラマのタイトルに「渡る世間は鬼ばかり」というものがありました。これは日本の知恵のことば「渡る世間に鬼はない」ということわざをもじってつけられたそうです。番組プロデューサーの石井ふく子さんは「相手のことを鬼だと思う自分がすでに鬼なんだと。自分が鬼でなかったら、相手のことも鬼だと思わない、という意味をこめたと」と語っているそうです。

 

 「渡る世間に鬼はない」とは、世の中には無情な人ばかりがいるのではなく、困ったときには助けてくれる情け深い人もいるものだということ。

  

 このように調べてみてわかるのは、まあ、当たり前のことですが、保険は別にして、だれも私たちの人生の保証をしてくれないということですね。昔の人の知恵のことばが教えることは、どんな人生であっても、保証はないけれども、あきらめずに、前向きに取り組むことは大事だということでしょうか。

 

 

 2.「つまずかない人生」への聖書のことば

 

 一応、私は牧師で、聖書のメッセージですので、聖書を開きますとこのような神様のことばがあります。

 

 (1)ダビデは敵に倒されても、神様の守りがあるので安心。 

  

(詩篇37篇24章)

 「その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。主がその手をささえておられるからだ。」

 

  誰かから、おそらく悪意で押されて、倒されても、神様がその手を支えてくださるので、倒されはしないという、神様の保証のことばです。

  

 

(2)イエス様のお約束の聖書のことば

  

(ヨハネの福音書161)

 「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがつまずくことのないためです。」

 

  「つまづくことのない」とは不意打ちをくらうような罠にかからないという意味です。すなわち、困難があっても決して挫折しないというイエス様のお約束のおことばなのです。

 

 

 3.ではそのような生き方を具体的に自分のものにするためには

  

  そして、本日の皆様へのおすすめの聖書のメッセージです。

  では、そのような生き方を具体的に自分のものにするためにはどうすればよいのでしょうか。

  

(1)イエス様の勧める「つまづかない生き方」とは。

  

  (ヨハネの福音書161節)

  「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがつまずくことのないためです。」

 

  このことばは、イエス様がお弟子さんたちとお別れの時に話された言葉です。なぜ、そのようなお言葉を話されたのでしようか。

  

 

(2)それはイエス様の弟子たちを襲う不幸な事態が迫っていたからです。

  

  (ヨハネの福音書162)

  「人々はあなたがたを会堂から追放するでしょう。事実、あなたがたを殺す者がみな、そうすることで自分は神に奉仕 しているのだと思う時が来ます。」

  

 恐ろしいですね。人々が自分は神様に奉仕しているのだと思って追放し、また殺人を犯すというのです。少し前、日本でもありましたね。人々が悪意からではなく、神様に従うというと誤った善意で犯罪を起こすのです。イエス様のお弟子さんたちは不安になったでしょう。そのような中、イエス様はこれから自分が十字架で死を迎えられ、復活されますが、天に戻られると言われるのです。弟子たちはどれだけ悲しく、不安に感じたでしょうか。

  

 

(3)イエス様が天に戻られた後、弟子たちをだれが守るのか。それは「助け主」である聖霊です。

  

(ヨハネの福音書167)

 「しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。」

  

 イエス様は十字架の死の後に、三日後に復活され、そして天に戻られますが、弟子たちを助ける「助け主」聖霊様を一人一人に下さるとお約束されました。

 

 

(4)どのように具体的に助けられるのか。

  

弟子たちが世の憎しみを受ける時、助け主は世の誤りを暴いてくださいます。この助け主は、弁護の役ばかりでなく、告発の役をも演じてくださいます。その結果、この世は、助け主の働きによって三つのことを認めさせられます。

 

(ヨハネの福音書16章8節)

 「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。」

 

 

 ① 第一は、「罪」について過ちがさばかれ、世が誤りを認めさせられるからです。聖書にはこのようにあります。

  

(ヨハネの福音書169)

 「罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。」

  

   「助け主」聖霊様が働かれると、それぞれの「罪」を明らかにしてくださいます。私たちの争いや悪意には必ず、自己中心の思いとその影響を受けた生活があるからです。その根本は、イエス様を知らずに生きていることに罪の根源があります。その誤りを聖霊様は認めさせてくださるのです。そして悔い改めとイエス様への信仰へと導いてくださるのです。このことを教会では回心と呼びます。これは相手にとって、そうですが、私たちの自分自身の心をも探られることを意味します。

  

 

 ②第二の「義」、正しさ、正義について、聖書にはこのようにあります。

 

(ヨハネの福音書1610)

 「また、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。」

  

第二の「義について」とは、イエス様が十字架の死と復活を通られ、天に戻られたことにより、約束の「助け主」聖霊様が来てくださるのです。それは、イエス様を信じる信仰による義、正義、新しいいのちに私たちが導かれる保証、神の御国の保証なのです。そのことについて聖書はこのようにあります。

  

(エペソ人への手紙114)

 「聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。」

  

 

 ③第三の「さばき」とは、聖書にはこのようにあります。

  

(ヨハネの福音書1611)

 「さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。」

  

第三の「さばきについて」とは、この世の人々の心を、悪で支配しようと試みる「サタン」の終末的な審判が定められたからです。イエス様は法廷で死刑の判決を受けられた時、十字架はイエス様の処刑台であると思われました。しかし、その十字架は、「この世を支配する者」(サタン)がさばかれる場所となったからです。そのことを証明したのはイエス様の復活の事実です。

  

祈りましょう。 主よ、あなたの御名を信じて祈ります。

     どうか、世界がコロナウイルスから守られますように。

     どうか、私たちの健康と暮らしが守られますように。

    どうか、イエス様を信じることができますように。

    どうか、イエス様を信じる者に約束された聖霊様に満たされますように。

     どうか、私たちが人生で、学校でつまずくことのないように。

     どうか、私たちが倒れてもまっさかさまに倒されないように、主よ支えてください。

    どうか、小さないのちの健康と成長、学びが守られますように。

 

イエス・キリストの御名によってお祈りします。 アーメン。