新約聖書から神様の愛をあなたへ

福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

「宮きよめ」

葛西説教20220710

1.タイトル「宮きよめ」

2.テキスト「ヨハネ2:13-22

3.中心聖句「ルカ19:46

『わたしの家は、祈りの家でなければならない』

4. 本文「宮きよめ」

  )「ユダヤ教の祭り、宮きよめ」

宮きよめは、そもそもユダヤ教の祭りでした。紀元前165年、マカベア家のユダによって定められた年ごとの祭りです。その祭りの起こりは、紀元前168年、アンティオコス・エピファネスの命令により、ギリシャの偶像礼拝の導入によって汚された神殿の再聖別を祝うために、12月頃の25日から8日間にわたって祝われたことに基づくと伝えられています。

 しかし、いつしか祭りの意義が忘れられ、人々は私利私欲のために神殿を利用し、祭司たちも自分たちに見返りがあるために不正を容認するという風潮がはびこっていました。

 イエス様は、神殿の祭りを守るために都へ来られたが、神殿の汚されている様子に義憤にかられ、真の意味での宮きよめを行われたのです。

  本論) 「宮きよめ」

  「義憤にかられたイエス様」

 イエス様と言うと、誰もが、物静かで優しいお姿を思い浮かべるでしょう。しかし、イエス様は真理のためには、激しくお怒りになられるお方なのです。

 過越しの祭りが近づいて来たころ、イエス様は、エルサレム神殿に入られました。神殿では、様々な経済活動が行われていました。礼拝でささげる動物を売る人、また献金のための両替人がいました。神殿は動物の鳴き声や客を呼び込む声が飛び交い、大変な賑わいであったでしょう。

 この様子を見られたイエス様は義憤にかられました。縄でムチを作り、動物を追い出し、両替人の机をひっくり返されました。そしてイエス様は大声で「商売道具を持ってここから出ていけ、わたしの父の家を商売の家とするな」と叫ばれたのです。

 弟子たちも驚いたでしょうが、旧約聖書のことば「あなたの家を思う熱心が、わたしを食い尽くすであろう」を思い出したのです。イエス様の行動からみことばを思い起こしたのです。

  「三日のうちに建てるとは」

 このイエス様の激しい振舞を、祭司や律法学者が黙って見ているはずがありませんでした。彼らは「こんなことをするからには、どんなしるしを見せてくれるのか」と責め立てたのでした。

 するとイエス様は、「この神殿を壊してみなさい。わたしは三日で建て直してみせます」と。当然、彼らはこのことばに驚きました。この神殿を建てるのに46年もかかっているのに、それをたった三日で建て直すとはと。

 この真の意味は、イエス様は、ご自分が十字架にかかり、三日目によみがえられることを言われたのでした。ところがユダヤ人の心は不信仰で一杯だったので、イエス様の言われることばの意味を悟り、理解することができなかったのでした。

  「教会と私たち」

 では、このみことばが語る私たちと教会への意味を考えてみましょう。

 一つは、教会とは神様とのきよい交わりのある所です。イエス様は「わたしの父の家」と言われました。そのような神様とのきよい交わりのある所なのです。ですから、教会での振舞に気をつけ、また教会の建物も含め、大切にしましょう。

 二つめは、神様を礼拝する所だということです。私たちが教会に集まるのは、牧師や親しい人に会うことよりも、第一に神様を礼拝するためなのです。そこで私たちは、一週間の神様の守りに感謝し、この感謝の思いで神様を礼拝する所です。神様は私たち自身をささげる礼拝を喜ばれるお方です。

 三つめは、神様に祈りをささげる所だということです。イエス様は「わが家は祈りの家であるべきだ」と言われました。私たちが祈る時、神様は、私たちの祈りを聞いてくださいます。もちろん、神様は私たちの祈りをどこででもお聞きくださるお方です。でも、教会で集まって心を合わせて祈れることは私たちに与えられた恵みなのです。

  勧め)「宮きよめ」

 私たちもこの「宮きよめ」から学びたいと願います。それはイエス様が教会を心から愛しておられたように、私たちもまた教会を愛し、心から礼拝をおささげし、祈りをささげたいと願います。

   また、イエスは三日目に死人の中から復活し、キリストのからだである新しい霊の神殿を建

  設されました。それは、うちに神の御霊が宿っているキリスト者の交わりである教会を指し示

  しているのです。

 

「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか」(Ⅰコリント3:16)