新約聖書から神様の愛をあなたへ

福音伝道教団

葛西福音キリスト教会 説教


タイトル

優しい世界、優しい人のために

  

 はじめに、「今、世界と人は優しさに欠けています。」

 

今、コロナウイルスの猛威が世界中で蔓延する中で、自分の国さえよければ、という考えがニュースで取り上げられています。とても悲しい気持ちになります。

 

しかし、日本には、このような知恵のことばがあります。「情けは人の為ならず」と。これは情けというものを人にかけることは、まわりまわって、いつかは自分にも返ってくるものだから、困った人や苦しんでいる人に情けをかけなさいという意味ですね。どうか、マスクの争奪戦や治療薬の囲い込みが、なくなるようにと祈り願うばかりです。

  

本日のテーマ)「優しい世界、優しい人になるために」

 

聖書は「喜び」、「正しさ・義」そして「愛」の大切さを教えています。

  しかし、その教えは、人間の外面的道徳律ではありません。イエス様を信じることにより私たちの行動の原理とその動機が新しく変えられることを教えています。

 そのことを預言者エレミヤは「心に書き記される神様の教えと愛」と教えています。

  

聖書にはこのようにあります。

 「彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。・・・主の御告げ・・・わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」(エレミヤ書3133)

  

私たちが神様の教えに生きるためには、神様の教えが私たちの中に置かれなければならないと。また、私たちの心に神様の教えが書き記されなければ、本当の意味で行うことはできないと聖書は教えているのです。

 本日は三つのことを教えられたいと願います。それは「喜び」、「正しさ・義」、そして「愛」です。それぞれの教えが、皆様への神様の愛の励ましと恵、そして神様への信仰となりますように。

 そして「優しい世界、優しい人」が実現しますように。

 

(1)最初は「喜び」です。

 

 聖書は教えます。(マタイ福音書51112)

 (11) わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたが

     たは幸いです。

(12) 喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。あなたがたより前にいた預言者

     たちを、人々はそのように迫害したのです。

 

  イエス様は、12節の初めにかけて、このように言われました。「喜びなさい。喜びおどりなさい。」と。

 どうでしょうか。少し、戸惑いを覚えられる方もいらっしゃるかと思います。

 イエス様は、人々があなたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせる時に喜び踊りなさいと教えられるのです。

 しかも、この「喜びおどりなさい」ということばの表現は、英語の聖書において、さらに豊かに表現されています。子供でも読めるやさしい英語聖書では、「Be happy and glad」、和訳では「満ち足りたうれしい気持ちとホッとしたうれしい気持ち」と。また少しお堅い英語聖書では「Rejoice and be exceedingly glad」、和訳では「喜んで、非常に喜んで」と。特に「exceedingly」は「極めて」、「至極」、「限りなく」とも和訳できることばで、その喜びの大きさが計り知れないことが豊かに表現されています。聖書が書かれた元の言葉では、和訳が「狂喜する」、狂わんばかりに喜びなさいと書かれているのです。

 

なぜでしょうか。それは、神様の約束のおことばがあるからです。

 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ人への手紙828)

  

イエス様を信じる人には神様の御霊と神様の愛が豊かに与えられています。

 ですから、様々なことが人生に起こるかもしれません。

  しかし必ず、人生の勝利者、幸福者に神様がさせてくださるとお約束されているからです。

  

(2)次は「正しさ・義」です。

 

  聖書の中で、外見的に正しい人と見られていたのは、パリサイ人と律法学者でした。 その彼らの行いについて、聖書は「長い祈りをしています」、また「よく断食をしており、祈りもしています」と記しています。非常に宗教熱心でした。神様との交わりである祈りと悔い改めやへりくだりを表現する断食に熱心なことは、確かに良いことでした。

 

 ですから、このような祈りも捧げていました。

 (ルカ福音書18)

(11) パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、

     姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。

 (12) 私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』

  

  たしかに、彼らの「正しさとその義」は誰が見ても、素晴らしいものと見えるかもしれません。

 

 しかし、イエス様は、その心の思いを見られてこのように言われました。

 (ルカ福音書1814)

  「あなたがたに言うが、・・・義と認められ(たのは)・・・パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」

 

神様に喜ばれる祈りの一つが、聖書にこのように記されています。

 (詩篇5110)

  「神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。」

  

外面的な几帳面さや厳粛さというものが、しばしば仮面に過ぎない場合があります。わたしたちも「ゆるがない霊」、神の御霊である聖霊様のお働きにより、私たちを内側から、神様の手により、心から新しく変えていただく祈りを捧げましょう。

  

(3)最後は愛です。

 

 最初にお話ししましたが、今、コロナウイルスの猛威が世界中で蔓延する中で、自分の国さえよければ、という考えがニュースで取り上げられています。悲しい気持ちになります。

 「情けは人の為ならず」の思いが、世界の指導者やすべての人々に届くようにと祈り願います。どうか、マスクの争奪戦や治療薬の囲い込みが、なくなるように。

  

愛についてイエス様はこのように教えられました。

(マタイ福音書5)

(43) 『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。

(44) しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。

  

しかし、当時の人々には、「隣人」は同胞のユダヤ人で、外国人(異邦人)は「敵」とされていました。

 ですから、イエス様の教えは、驚くべきものだったでしょう。「敵を愛する」とは、同胞も外国人も等しく隣人として愛し、差別を除くことでした。

  今の日本でも、私たちはそのような外国から来られた人々にやさしさ、親切、思いやりを持って接しているでしょうか。私たちのまなざしや接し方に差別や偏見はないでしょうか。

  まことに、イエス様が私たちの内に宿り、働かれるならば愛があなたから周囲の人々に伝えられるのです。

 

なぜなら、神様の約束のおことばがあるからです。

(第一ヨハネの手紙416)

  「私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。」

  

神様を信じる人は、神様の愛の中に生きるように、変えていただけるからです。

  

祈りましょう。「優しい世界、優しい人のために」

 

①どうか、神様が私たちの心に「喜び」と「正しさ・義」、「愛」をあふれさせてくださるように。

 

②神様を信じることができますように。

 

③世界がコロナウイルスの恐怖に、愛で打ち勝てますように。