新約聖書から神の愛をあなたへ

福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

「幸せの条件」

福音伝道教団・葛西福音キリスト教会・聖書のお話し2021530()

1. テキスト(ルカ12:132)

2. タイトル「幸せの条件」

3 中心聖句(ルカ12:15)

「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。

なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです」

4. 本文「幸せの条件」

)「アンパンマンのテーマソング」

 以前テレビでNHKの「百年インタビュー」という番組があり、やなせたかしさんがゲストで出演されていました。その中で、やなせさんがアンパンマンのテーマソングについて、ある哲学者からお手紙をもらった話をされていました。『アンパンマンのテーマソングは「何のために生まれて、何をして生きるのか」とありますが、これは幼稚園で歌う歌ではないですと。ところが幼稚園で園児が平気で歌っていますと。ある哲学者が自分の孫と一緒に新幹線に乗りました。四歳の孫が「何のために・・・」と歌うと、哲学者のおじいちゃんはびっくりしました。哲学の永遠の課題を四歳の子供が歌っているとはと。うちに帰って調べてみると、それはアンパンマンのテーマソングだと分かった。それで非常に驚いたという手紙を私は受け取りました。おじいちゃんにはびっくりするような歌でも、子供は難なく歌っているのです。』と。

 私たちは考えたことがあるのでしょうか。何のために生まれて、何をして生きるのかと。この問いに対して、幸せになるためとお答えになる方が多いのかとも思われますが。本日は幸せの条件というテーマで聖書のみことばからお話しさせていただきたいと願います。

 

本日のテーマ)「幸せの条件」

 幸福になりたくない人はいないでしょう。あなたもそうではないですか。でも幸福とは何でしょうか。それは人によってそれぞれ異なっていることとは思われますが。

1.この農夫の考えていた幸福とはどんなものだったのでしょうか。

その答えは19節にあります。

(ルカ12:19)『そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』

皆様の聖書の訳には「さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ」と、少しその喜びも落ち着きがありますが。元々の聖書では、自分に命令する言葉として、安心せよ、食べろ、飲め、楽しめと語られています。この金持ちの持つ、強い満足感と達成感が表現されている文章だと私は感じます。ですから、自分よ、弾けろ!という感じでしょうか。そもそも金持ちなのにもっと豊かになったのですから。皆様も以前使われていた口語訳聖書の訳、「食え、飲め、楽しめ」という訳が私は好ましいと思いました。皆様はどうでしょうか。皆様の幸せは、宝くじが当たったら幸せでしょうか。それとも良い大学に、良い会社に入れたら幸せでしょうか。

 

Ⅱ.この農夫に対し、神はなんといわれたのでしたか。

 神はこの金持ちにこのように言われました。

(ルカ12:20)「しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか』」

神はこの金持ちに、今夜あなたは死ぬのだと告げるのです。どんな人も死から逃れることができないのです。聖書は言っています。

(ヘブル9:27)「そして、人間には、

一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」

 また、先日の説教で取り上げた、小林武彦教授(東京大学 定量生命科学研究所)も、NHKの番組の中で、『人間の老化を防ぐことはできるが、がんになってしまうのです。だから、絶対に不老不死を許さないプログラムというか強い「死のシステム」があるのではないかと思う』と言っていました。誰も死から逃れることはできなのです。そして神だけが人の死の時について、お知りになられるのです。

 

Ⅲ. この農夫の身の上に起ころうとしていたことは、なんだったのでしょう。

  この金持ちはもう、この先何年も働かなくても生きていけるほどの蓄えがありました。しかし、神はこの金持ちの死を宣告されたのです。

(ルカ12:20)「しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』」

 神は、「おまえが用意した物は、いったい誰のものになるのか」と言われたのです。そもそも、このイエスのたとえは、遺産相続の争いがもとで話されることになったのでした。私たちは生きていくためにお金や物に執着しがちではないでしょうか。しかし、お金やたくさんの食料の蓄えは、このお金持ちのいのちの保証にはなりませんでした。たしかにお金やその他の財産は大事に管理して使う必要があります。しかし、イエスは、人のいのち、人生というものが、持つことにではなく、どのように生きるかに価値や尊さがあるのだということを教えようとされているのです。

 

Ⅳ. 主イエス・キリストは、このたとえ話を通して何を語ろうとされたのでしょうか。

そのことについて具体的にイエスはこのように教えられました。

(ルカ12:15)「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。

なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」

 もうすでに先ほど、イエスの答えを言ってしまいましたが、先ほどの答えを言葉にすれば、貪欲という罪に警戒し、注意し、避けなさいということです。なぜなのか。それは、人のいのちは財産にはないからです。イエスは私たちに語られています。

(ヨハネ5:24)「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。」

 ですから、どうか、まだイエスを信じておられない皆様には、イエスを信じていただきたいと願います。

そして、イエスはお弟子さんたちにはこのように語られました。

(ルカ12:22)『それから弟子たちに言われた。「だから、わたしはあなたがたに言います。いのちのことで何を食べようかと心配したり、からだのことで何を着ようかと心配したりするのはやめなさい」』

 ですから、イエスを信じている私たちは、様々なことに備えることを考えたり、準備したりすることは大切ですが、心配することから解放されましょう。神に私たちのいのちと人生をゆだねる信仰をもちましょう。

 

勧め)「幸せの条件」

(ルカ12:15)「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。

なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです」

 ですから、まだイエスを信じておられない方々にはイエスの言葉を信じて、神を信じてください。そうしたとき、あなたの罪は赦され、永遠のいのちを得ることができるのです。

 また、イエスを既に信じておられるクリスチャンの皆様、私たちは心配することから解放されましょう。そして神に自分自身や人生をゆだねましょう。これは明日や未来の準備を怠ることではありません。神を信じ、その日その日の責任と役割を果たすことに集中して生きているならば、神が私たちのいのちと人生に最善を行ってくださるからです。