新約聖書から神様の愛をあなたへ

福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

「神の評価」

1.テキスト「ルカ21:1-4

2.タイトル「神の評価」

3.中心聖句「ルカ 5:5

「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」

4本文「神の評価」

)「天は人の上に人を造らず…」

最近、ネット記事にドキッとしました。福沢諭吉の有名なことば、学問ノススメの冒頭の言葉「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」の一般的な解釈が誤っているというのです。平等の精神を主張しているとされているが、学問ノススメをよく読むと、先のことばの後に「と言われている」が加えられていて、伝聞と記されているそうです。そして続く内容は、賢い人愚かな人、貧しい人富んだ人、身分の高い人低い人と、雲泥の差が人にはあるが。その差を埋めるために、勉強して自分を磨くことが勧められているそうです。ま、その内容の真偽は私には分かりませんが。人には生まれながらに差があることは私にもわかります。それは教会においても能力の差はあると思います。では、福沢諭吉の学問ノススメのように、教会においても自己啓発ノススメとなるのでしょうか?

しかし、本日のテキストから神学者は、「終末的審判において…、やもめの貧相な献金にどんでん返しの高い評価が与えられる…、すでに何度も教えられた終末的な逆転劇にほかならない」と。イエスもそのように教えられました。

「今しんがりの者があとで先頭になり、いま先頭の者がしんがりになるのです。」

(ルカ13:30)

また、本日のテキストの語りかけに耳を傾けながら、ウサギとカメの競争という童話を思い浮かべました。足の速いウサギと足の遅いカメ、誰が見ても結果は明らかなのに、結果はカメの勝利というお話です。

神はこの世を「人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」とは創造されなかったかもしれません。しかし、神の評価は、この世の評価のどんでん返しなのです。そして神に高められた者に高い評価が下されると聖書は教えているのです。

ですから、私たちは自分の能力やこれまでの人生に落胆し、たとえ絶望する時ですら。

「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」(ルカ 5:5)と。主のおことばに従えるのですね。

 

本論)「神の評価」

本日のテキストは誰に向かって語られているのでしょうか。このテキストが語る偽善についての警告を、ルカはそれをはっきりと「弟子たちに」(ルカ20:45)と記します。ルカはこの教えを、弟子たち教会あてに記したのです。

ですから教会は、私たちに向けられた終末的審判、終末の神の評価に襟を正して聴きましょう。聖書ははっきりと、教会にもまた、敬虔をうわべで誇り、信心を利得と心得る権威者が現れつつあると警告します。

「敬虔を利得の手段と考えている人たちの間には、絶え間のない紛争が生じるのです。」

(Ⅰテモテ 6:5)

 

Ⅰ.「金持ちの献金」

 イエスは金持ちの献金する姿を眺めておられました。

「イエスは目を上げて、金持ちたちが献金箱に献金を投げ入れているのを見ておられた。」

(ルカ21:1)

 一説には、当時の献金箱は、箱にトランペットの音が出る方の形をしたものが付いていたそうです。ですから、そこにお金を入れると「ジャラン、ジャラン」と音がします。そのためお金を多く献金箱に入れるほど、音は大きくなります。たくさん献金する人ほど、周囲の人々の耳にアピールできたでしょうね。

 

Ⅱ.「やもめの献金」

 続いて、ある貧しいやもめが献金する姿を眺めておられました。

「ある貧しいやもめが、そこにレプタ銅貨を二枚投げ入れるのを見て」と。(ルカ21:2)

レプタの価値は、「レプタ」ということばが「小さい」「薄い」の意味が示す通り、2レプタはローマの最小青銅貨。ギリシャ通貨の最少額貨幣は10レプタでした。ですから、2レプタ銅貨は献金の最低額とされていました。一説には現在の価値で250円ぐらいとされます。

 

Ⅲ.「神の評価」

 誰が見ても、いや耳にした音の大きさからしても、金持ちの献金は注目され賞賛されたことでしょう。それに引き換え、貧しいやもめの献金のその小さな音では、誰も気づかなかったかもしれません。しかし、イエスはその人の心と生活を見て言われたのでした。

「まことに、あなたがたに言います。この貧しいやもめは、だれよりも多くを投げ入れました。あの人たちはみな、あり余る中から献金として投げ入れたのに、この人は乏しい中から、持っていた生きる手立てのすべてを投げ入れたのですから。」(ルカ21:3-4)

だから、私たちはイエスを信じ、語られる聖書のみことばに聴き従うのです。そうするならば、私たちは罪の赦しのみならず、「神の評価」を期待して生きることができるのです。

 

勧め)「神の評価」

神はこの世を「人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」とは創造されなかったかもしれません。しかし、神の評価は、この世の評価のどんでん返しなのです。そして神に高められた者に高い評価が下されると聖書は教えているのです。

ですから、私たちは自分の能力やこれまでの人生に落胆し、たとえ絶望する時ですら。

 

「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」(ルカ 5:5)と。主のおことばに従えるのです。