新約聖書から神の愛をあなたへ

福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

「この一年を感謝する」

葛西説教20201227()

1.テキスト「第一テサロニケ人への手紙5章1122節」

2.タイトル「この一年を感謝する」

3.中心聖句「第一テサロニケ人への手紙5章18節」

「すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」

4.テーマ「この一年を感謝する」

)「不安と悲しみに満ちた一年」

  2020年は新型コロナウイルスにより世界中が激変を経験した一年でした。オリンピックをはじめとして、計画の中止や延期を余儀なくされました。そのため働き方も変わらざるを得ませんでした。倒産や廃業した事業所もあり、仕事を失い、生活が根底からくつがえされた多くの人たちがいました。感染症の恐ろしさを覚えながら生活する日々でした。

  私たちは弱い存在です。当たり前の日常が奪われると、もうそれでうろたえてしまうもろい存在です。そんなとき、口から出るのはどんな言葉でしょうか。愚痴でしょうか。恨み言でしょうか。嘆きでしょうか。聖書は「すべての事について、感謝しなさい」と語ります。ただ感謝しなさいではなく、「すべての事について」と。皆様は、いかが思われますでしょうか。

 

テーマ) 「この一年を感謝する」

パウロは16節からは、わかりやすいことばで、クリスチャンの基本的な態度についての勧めをしています。それは「喜び」と「祈り」、そして「感謝」です。この三つのものこそ、迫害の中で苦難に直面しつつ生きるテサロニケの教会の人々に対して、キリスト・イエスにあって神が望んでおられることだとパウロは語ります。

 

Ⅰ.「いつも喜んで生きる。」

(第一テサロニケ人への手紙5章16節)「いつも喜んでいなさい。」

 

  パウロはいつも喜んで生きることは、クリスチャンの最も基本的な生き方だと教えます。またパウロは別な聖書の箇所でも、喜んで生きることを教えています。また、そこには喜びが尽きない秘訣が教えられています。

 

(ピリピ人への手紙3章1節)「主にあって喜びなさい。」

(ピリピ人への手紙4章4節)「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」

 

  パウロは尽きない喜びの秘訣を「主にあって」という言葉に込めています。では、「主にあって」とはいかなる意味なのでしょうか。それは、クリスチャンの信仰の状態が、主との生きた人格的交わりを持っているということです。その時にのみ、いつも喜ぶことができるのです。これが、あらゆる環境に本質的には支配されることのない、クリスチャンの喜びです。

  すなわち、イエス・キリストの十字架の恵みを信じ、約束の賜物「聖霊」を受けることにより、私たちの存在全体が、生ける神に受け入れられている喜びを得ることができるのです。更にそれにより、自分の存在全体、生活全体で、生ける神を喜ぶ信仰生活に導かれます。そしてそのことは、クリスマスの約束が私たちの人生に成就したことになります。それは私たちの日常生活全体がインマヌエル(神は私たちとともに)となるからです。聖書も聖霊と喜びの関係について教えます。

 

(ガラテヤ人への手紙522)「御霊の実は、愛、喜び」

 

  私たちの「喜び」が私たち自身のものではなく、霊的なものであるからこそ、どんな時も尽きることはないのです。

 

Ⅱ「絶えず祈る生活」

  パウロは続けて教えます。

 

(第一テサロニケ人への手紙5章17節)「絶えず祈りなさい。」

 

  パウロは、「いつも喜んでいなさい」との祝福の教えを勧めるとともに、「絶えず祈りなさい」と続けて教えます。聖書の別の箇所にも、祈ることが教えられています。

 

(エペソ人への手紙6章18節)「どんなときにも御霊によって祈りなさい。」

(ユダの手紙1章20節)「聖霊によって祈り」

 

  聖霊によって人が祈るとき、聖霊が私たちの内に生み出す神の働きに満たされるからです。

 

(ガラテヤ人への手紙5章22-23節)

「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」

 

  その御霊の実の恵みに満たされ、そこから自然に祈りのことばがにじみ出てくるのです。その祈りは、感謝と賛美とが結ばれた祈りです。すべてのものが神によることを認めて、神の主権と摂理に対する信仰に満たされつつ、神の御旨に聞き従い、神の御旨を祈っていく祈りです。

 

Ⅲ「すべての事について感謝しなさい」

(第一テサロニケ人への手紙5章18節)

「すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」

 

   ここで「すべての事について」とは、迫害や試みを含む、たとえ痛みや悲しみの中にあっても、すべての環境の中でも「感謝する」と教えられています。これは、すべての事がらが神の御手の中にあるという、神の主権と摂理に対する具体的な生きた信仰が求められます。これは自分中心や自己中心な思いや考え、またまなざしを持っていては難しいことだと思います。聖書はそのために必要な信仰、どのような時にも神は真実なお方であると信じる信仰をこのように教えています。

 

(ローマ人への手紙8章28節)

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」

 

  この一年、私たちには様々なことが起こりました。それは手放しで喜んだりできないこともあったかもしれません。牧師である私自身も様々な出来事の中で、痛みや悲しみに出会いました。また教会と地域の皆様のために日々祈っているのに、なぜ、このような病や事件が起こることを神は許されるのかとの、神への不信仰との戦いもありました。私自身、この一年守られたのは、ただ聖霊とみことばの導きによる養いと恵みでした。ただ神への感謝しかありません。すべては真実な神の恵みでした。

まさに聖書が教えているように、喜び、祈り、感謝が一体となった福音の光の下での生き方は、「キリスト・イエスにあって」のみ可能です。どうか、パウロの、この喜び、祈り、感謝についての教えを信じてください。

 

祈り「この一年を感謝する」

1.まだ、イエス・キリストの十字架を信じておられない方へ。イエス・キリストの十字架はあなたを必ず変えます。あなた自身を。あなたの生き方を。あなたの人生を最高なものに変えてくださるのです。

  ですから、イエス・キリストの十字架を信じてください。そうするならばあなたの人生は、どのような時でも、「喜び」と「祈り」「感謝」が尽きないでしょう。そしてそれは天国の扉をくぐるまで続くことでしょう。

 

 

2.すでに、イエス・キリストの十字架を信じておられるクリスチャンの皆様へ。どうか、私たちは神が約束してくださっている恵みを思い出し、噛み締めようではありませんか。私たちはいただいていない者のようにではなく、すでに豊かな恵みをいただいている者として、真実な神に感謝の祈りをささげたいと願います。現在、確かに、病や事故や事件の中にいて、痛みや悲しみ、苦しみの中におられるかもしれません。しかし、私たちの信じる神は、真実なお方です。皆様の置かれている状況をそのままにして置かれるはずはないのです。全知全能なる創造主なる神の祝福と導きに期待しましょう。