新約聖書から神の愛をあなたへ

福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

「応えられた祈り」

葛西福音キリスト教会20211128説教第一アドベント礼拝

1.テキスト「ルカ1:8-25 57-67

2.タイトル「答えられた祈り」

3.中心聖句「ルカ1:13

「恐れることはありません、ザカリヤ。あなたの願いが聞き入れられたのです。」

4.本文「答えられた祈り」

)「祈りは神に聞かれている」

 ある牧師はこの個所を子どもの集会の中で、このように話されました。「神様は必ずお祈りを聞いてくださっています。無理だろうなあと私たちが思うことでも、神様は聞いてくださっています。そして、必ずお祈りに答えてくださいます。わたしたちが思っていたのとは違う答えのときもあります。神様のくださるお祈りへの答えが素晴らしすぎて、信じられないような気持になるときもあります。でも、どんな答えでも喜んで受け止め、神様を賛美する人にしていただきましょう。いつも神様は最もよいものを用意してくださるのです」と。

 本日の聖書の個所から、ザカリヤの祈りを通して、祈りについて深く味わいましょう。

 

本論)「答えられた祈り」

Ⅰ「信仰と祈り」

 ザカリヤのもとに現れたみ使いは祝福のことばを伝えます。

「御使いは彼に言った。「恐れることはありません、ザカリヤ。あなたの願いが聞き入れられたのです。あなたの妻エリサベツは、あなたに男の子を産みます。その名をヨハネとつけなさい。」(ルカ1:13)

 子どもを望まない夫婦はいないでしょう。このザカリヤとエリサベツの夫婦も同様に子どもの誕生を望んでいたことでしょう。このクリスマスの出来事が起こった時代のユダヤは特に、子どもの誕生は神の祝福であり、そうでない場合は神に対してこの夫婦は何らかの問題を抱えていると考えられていたからでした。

 ザカリヤは神から特に選ばれた祭司の血筋であり、その中でも香をたく特別な任務に選ばれた祭司でした。名前も「ザカリヤ」とは「主は覚えておられた」。妻の「エリサベツ」も「わが神は誓い」という恵み深い名前でした。しかし、子がなく、すでに高齢。子の誕生を求める祈りも、すでに諦めモードだったのかもしれません。聖書には100歳のアブラハムと90歳のサラに、イサクという子供が神から与えられたと記されています。祭司のザカリヤは、おそらくそれほど、年を取ってはいなかったでしょう。しかも聖書の専門家である祭司、その彼が信じられなかったのです。神の祈りの答えへの期待をなくしていたのです。

 しかし、私たちも、聖書のことばを読んでいても、同じ神が今も生きて働いておられることを、私たちは本当に信じているでしょうか。信仰がなくては祈り始めることはできません。そして祈り続ける中で信仰は養われ、強められるのです。

 

Ⅱ「聞かれている祈り」

 生まれる子、ヨハネに与えられている、主からの尊い使命についてザカリヤは聞きます。

しかし、ザカリヤには、ヨハネという子どもの誕生という信じられない情報以外、何も伝わっていなかったのではないでしょうか。ザカリヤの祈りの願いは子どもの誕生であったでしょうが、彼の信仰の祈りは、高齢という現実からくるあきらめと習慣化した祈りに陥っていたのではないでしょうか。

 イエスは「失望しないで祈るべきこと」(ルカ18:1)と教えられました。不親切な裁判官も女性の熱意におされたたとえを通して話されました。イエスはたとえの終わりに「人の子が来るとき、地上に信仰が見られるであろうか」と言われましたが、私たちは、神が喜ばれる信仰をもって、祈り待ち望んでいるでしょうか。 私たちも祈りは「聞き入れられる」と単純に信じ、経緯も結果もゆだねながら、単純に神を信じ祈り続けましょう。

 

Ⅲ「賛美に向かう祈り」

 不信仰のために口がきけなかったザカリヤの口が開かれた時、その口から賛美があふれ出てきました。そのザカリヤの賛美は聖霊に満たされた預言でもありました。

「ザカリヤは聖霊に満たされて預言した。」(ルカ1:67)

 祈りとは神との対話です。私たちは電話を話しの途中では切らないですよね。でしたら、神との祈りの電話を地上の人生を生きている間は、決して切らないでください。私たちの願いだけを一方的に神にぶつけて切らないでください。神はあなたが地上の人生を生きている間、あなたに語ることば、あなたの祈りに答えることばをたくさん持っておられるのです。

 

勧め)「答えられた祈り」

 本日は、「答えられた祈り」のお話しでした。どうか、イエスを信じておられない方は信じていただきたい。そうするならば、あなたは祈りに答えられる真実の神を知ることになります。また、祈りとは神との電話のようなものなのです。この電話は、私たちの地上の人生を生きる間は、ずーっと祈りという形でつながっているのです。決して切らないでください。そして、祈りが聞かれたら感謝し、賛美しましょう。

 

 そしてだんだん信仰が養われ、育てられる中で、「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」(マルコ11:24)を信じ実践し、主はすでに聞いておられます。と先取りの賛美をささげる者となりましょう。