新約聖書から神の愛をあなたへ

福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

「喜びの知らせ、クリスマス」

葛西説教20201213

1.テキスト「ルカの福音書2章120節」

2.タイトル「喜びの知らせ、クリスマス」

3.中心聖句「ルカの福音書210節」

「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。」

4.本文「喜びの知らせ、クリスマス」

 

テーマ)「喜びの知らせ、クリスマス」

Ⅰ「小さき者のクリスマス」

  クリスマスは喜びの知らせです。なぜでしょうか。それは第一に「小さき者のクリスマス」だからです。神の使いである天使は、ユダヤで小さな存在であった羊飼いのもとに遣わされました。それは神が羊飼いを選ばれたからでした。そして天使は、このように神のことばを伝えました。

 

(ルカの福音書210)

「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。」

 

この羊飼いの選びは、これまでの幻を受けた人物たちが自分にあてられた使信を聞いたのと違っていました。彼らは「この民全体のためのすばらしい喜び」の知らせを取り次ぐ者として選ばれています。ユダヤ社会で取るに足らない存在の羊飼いはなぜ選ばれたのでしょうか。聖書はこの疑問にこのように答えています。

 

(申命記77)

「主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった。」

 

(第一コリント人への手紙12728)

「しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。」

 

なぜ、クリスマスは喜びの知らせなのでしょうか。それは聖書が描くクリスマスは、小さき者のクリスマスだからです。私たちは自分の弱さ、小ささ、罪深さを感じ、自分の生きていることに苦しみや悲しみを抱くことがあるかもしれません。しかし、だからこそアドベントを喜びと希望をもってクリスマスを待ち望むのです。それは小さい者のためのクリスマスだからです。

 

「居場所がない者のクリスマス」

  クリスマスは喜びの知らせです。なぜでしょうか。それは第二に「居場所がない者のクリスマス」だからです。イエスの両親はそのダビデの町にいる場所がなかったと聖書にあります。

 

(ルカの福音書27)

「男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」

 

お生まれなさったイエスには居場所がありませんでした。それは居場所がない者のための救い主だからです。聖書もこのように言います。

 

(ヘブル人への手紙21718)

「そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。」

 

なぜ、クリスマスは喜びの知らせなのでしょうか。それは聖書が描くクリスマスは居場所がない者のためのクリスマスだからです。もし、今あなたが仲間外れや、孤独感を感じ、疎外された苦しみや悲しみを感じていたとしても、イエスはそのあなたの思いや気持ちをだれよりも知っておられるのです。だから、クリスマスは喜びの知らせなのです。

 

Ⅲ「飼い葉おけがしるし(奇跡)のクリスマス」

 クリスマスは喜びの知らせです。なぜでしょうか。それは第三に「飼い葉おけがしるし(奇跡)のクリスマス」だからです。聖書はこのように記します。

 

(ルカの福音書212)

「あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」

 

誤解がないようにしていただきたいのです。「飼い葉おけに寝ておられる」しるしとは、このお生まれなさったイエスを探し出す目じるしではありません。それは当時のベツレヘムの町には飼い葉おけがたくさんあったからです。ですから「この方こそキリスト」であることの「しるし」とは、羊飼いたちがその羊の匂いのする作業着のままで会える救い主だということです。そのことを聖書はこのように教えます。

 

(マタイの福音書913)

「『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」

 

  なぜ、クリスマスは喜びの知らせなのでしょうか。それは聖書が描くクリスマスは罪を悩み悔いる者のためのクリスマス、完全な者でなく不完全な者のためのクリスマスだからです。もし、今あなたが自ら罪深さや心の弱さに悩んでいるのなら、イエスのところに行きましょう。教会で聖書のことばに学びましょう。あなたがイエスを信じ、聖書のことばに導きを求めるなら、罪から救われるのです。「しるし」ということばには「目じるし」「合図」という意味と共に「奇跡」という意味もあるそうです。まさに飼い葉おけのイエスこそ、クリスマスの奇跡です。だから、クリスマスは喜びの知らせなのです。

 

Ⅳ「み言葉に従う者のクリスマス」

  皆さんもクリスマスの奇跡を羊飼いたちのように体験したいと思いませんか。それは簡単なことです。私たちも羊飼いたちと同じようにするだけです。聖書にはこのようにあります。

 

(ルカの福音書21516)

『御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。』

 

  ですから、クリスマスの喜びの知らせを自らの人生に意味あるものとするために、私たちはイエスを探し求める必要があるのです。どうか、教会や集会を通して、聖書のことばに触れ、イエスに出会い、イエスを信じ、そしてイエスに従順に従い続けてください。そうするならば、羊飼いたちのように喜びの賛美が尽きない人生があなたのものとなるでしょう。

 

祈り(勧め) 「喜びの知らせ、クリスマス」

1.今、あなたが、まだイエスをご自分の救い主として信じておられないとしたら、今信じましょう。あなたは罪深さから救われ、天国の門があなたのために開かれます。あなたは新しい生き方を生きることができるようになります。

 

2.すでにイエスをご自分の救い主として信じておられるなら、改めてクリスマスの恵みをかみしめましょう。クリスマスは喜びの知らせです。それは「小さき者のクリスマス」「居場所がない者のクリスマス」「飼い葉おけがしるし(奇跡)のクリスマス」だからです。ですから、本日、改めて神の恵みを信じ、神への従順と献身の思いを祈りましょう。