新約聖書から神様の愛をあなたへ

福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

「岩の上の家」

葛西説教20220918

1.テキスト「マタイ7:24-27

2.タイトル「岩の上の家」

3.中心聖句「マタイ7:24

 「わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。」

4.本文「岩の上の家」

序)「砂遊び」

 もう夏も終わり、秋の入り口に入ったような、朝晩が冷えるようになりました。皆さんも小さい時は夏休みに海や川で砂遊びをしたこともあるでしょうか。砂で山やトンネル、川などいろいろなものをつくって遊び、楽しんだ経験があるのではないでしょうか。しかし、砂でつくったものが何日も残っていることはありませんね。砂は崩れやすいので、山でもトンネルでもすぐに壊れてしまいます。雨でも降れば跡形も残らないでしょう。ですから砂の上に家を建てるということは誰もしないでしょう。しっかりとした土台に家を建てます。それと同じように、私たちが生きていくためには、しっかりとした土台が必要なのです。

 

本論)「岩の上の家」

.「二件の家」

 今日のテキスト箇所は、イエス様の山上の教えの結論にあたります。すなわち、山上の教えに生きるとはどういう生き方かということです。

 トントンと、どこからか釘を打つ音が聞こえてきます。二人の大工がそれぞれ自分の家を一生懸命建てていました。そして完成しました。ついに家が出来上がったのです。その出来上がった家は素晴らしい出来上がりでした。二人はその新しい家に家財を運び込み、引っ越しも完了しました。この二人は自分の人生はこれからも順調だと考えたことでしょう。しかし、突然雨が降り出しました。そしてその雨は土砂降りとなり、洪水となりました。それから風も激しく吹きつけました。しばらくして雨と風が収まった後には、一軒の家が嵐にもびくともしないで建っていました。ところがもう一軒の家は跡形もありませんでした。その家は風で倒され、洪水で流されてしまいました。同じように建っていたのに、どうしてこんなに差があるのでしょうか。

 その差は、家が建っていた土台が違っていたからでした。びくともしなかった家は硬い岩の上に建っていました。それに対して、跡形もなくつぶれた家は、柔らかな砂の上に建てられていたからでした。それが、イエス様が話されたたとえ話でした。

 

.「賢い人と愚かな人」 

 イエス様は、岩の上に家を建てた人は賢い人、砂の上に家を建てた人は愚かな人と言われました。では、賢い人、すなわち岩の上に家を建てた人とは、どのような人でしょうか。イエス様のたとえで言われている「家」とは、人生のことです。そして「岩」とは、みことばであり、神様のみこころであり、神様のご臨在です。ですから、「賢い人」とは人生をみことばや神様のみこころ、神様のご臨在と共に生きる人なのです。

 アメリカのニューヨークにはマンハッタンという島があります。そこには百階以上の高層建築のビルがたくさん建てられています。なぜ、その場所に建てられているのでしょうか。それはその島が、一枚の岩盤からなっていて、強度が強く高層ビルの建設に適しているからです。

 その逆が「砂の上に家を建てた人」、「愚かな人」なのです。みことば、神様のみこころ、神様のご臨在を軽視して生きる人を、イエス様はたとえ話で「愚かな人」と言われました。

 

.「みことばを土台に」

 みことばとは、例えるなら定規のようなものです。私たちが人生計画の線を引くとき、曲がったりしないで、まっすぐに引くためのものです。みことば、神様のみこころ、ご臨在を私たちが人生の土台とする時、試練や誘惑で崩れることはありません。イエス様の例えでは二つの家には同じ雨が、風が襲い掛かりました。これはみことばに従っている人にも、みことばに従わない人と同じことが起こることを示しています。ですから、すべてのクリスチャンは試練や誘惑に会うとき、なぜ自分にと驚かず、不信仰にならず、この「岩の上の家」を思い出してください。それは、みことばと神様のみこころ、そして神様のご臨在があなたの人生を支え、守るからです。

 今から百年以上前、北海道大学が札幌農学校と呼ばれていた時代、アメリカ人のクラーク博士は大学に「少年よ、大志を抱け」ということばを残しました。博士は敬虔なクリスチャンで、マサチューセッツ農科大学の初代学長の職を辞してまで、日本の学生にキリストの福音を伝えるため札幌農学校の教師として、1876年に赴任しました。そして博士は日本の学生に配布する聖書30冊を準備しました。しかし当時、キリスト教禁制は解かれていましたが、北海道の高官から反対を受けました。そのような中、博士は学生に農業とともに、聖書の福音を教えました。それは学生が神のみ言葉を土台とした人生を歩んでほしいと願ったからでした。

 

勧め)「岩の上の家」

 あなたも「賢い人」として人生を歩んでみませんか。私たちの人生の土台に、みことば、神様のみこころ、神様のご臨在をすえようではありませんか。そのような人の人生を神様は人生を支え、守り、祝福してくださるからです。