新約聖書から神の愛をあなたへ

福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

「初礼拝」

葛西説教20200101新年礼拝

1.テキスト「ピリピ人への手紙2章13節」

2.タイトル「初礼拝」

3.中心聖句「ピリピ人への手紙2章13節」

「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、

事を行わせてくださるのです。」

4.本文「初礼拝」

 序)「一年の計は元旦にあり」

  日本にはこのようなことわざがあります。「一年の計は元旦にあり」と。このことわざの直接の意味は、一年の計画は年の初めの元旦に計画を立てるべきだというものです。そのことから転じて、物事を成功させるためには、初めにしっかり計画を立てる大切さを教えることわざとしても知られています。

  よって、新年礼拝で私たちが神へ献げる初礼拝で、私たちに対する神のお心を受け取ることは大切です。クリスチャンと教会にとって、まさに「一年の計は元旦にあり」の意が、新年礼拝の初礼拝に込められているといっても言い過ぎではないかと思います。

しかし、皆様のご事情もあることですから、新年礼拝にご出席できない人もおられることでしょう。

ですから、新年礼拝説教を教会ホームページへの掲載とともに、1月3日の第一主日礼拝においても、同じ思いと願いを込めて、神のことばをお伝えしたいと思います。

 

本論)「初礼拝」

  「一年の計は元旦にあり」ではないですが、私たちや教会、社会でも何か行動を起こそうとする願いを持つものですね。そのとき、本日開かれた聖書の箇所がよく教会の会堂建築や神学校建設の際に引用されることが多いと聞きます。クリスチャンは常に神のお心に耳を傾ける者ですからね。

しかし、神を信じておられない未信者の方の場合、普通、行動に自信が持てない場合、信頼し尊敬する人、また親、先輩、親友など、その道に詳しい知人に意見を求めるでしょう。そのような周囲の意見を伺い、慎重に検討して決断する、そのようなものですよね。

  一方、クリスチャンの私たちは、どのように物事の計画を立てて実行を決断するのでしょうか。クリスチャンは他人の意見を聞くことを禁じられているわけではありません。 しかし私たちを正しく導くみことばから神のお心を伺います。そのことを教えるのが、本日の聖書のみことばです。

 

(ピリピ人への手紙2章13節)

「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」

 

  ですから、まず神のお心を伺うのです。そのためにはまず祈ることでしょう。そして聖書を開き、みことばを読み、物事の計画を立てるにあたり、みことばをいただくことを大切にしましょう。

しかし、この時、注意すべきことは、神のお心を伺うことよりも、私たち人間側の願いや思いが、強すぎる場合です。そのときには、私たちの心の耳は、神の声に閉じている場合が多いのです。そして私たちの祈りは、私たちから神様への願いの一方通行となり、祈りが神との交わりとはならないのです。聖書を開いても、私たちの願いに反するみことばに触れた時は、読み飛ばします。そして願いに合うみことばを見つけ出し、それを神からの答えだと間違った確信を思い込みます。そうなると私たちの暴走が始まります。

ですから、先のみ言葉を理解するためには、直前の12節で教えられている「いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。」との教えが大切なのです。私たちが学ぶべき従順について聖書はこのように教えます。

 

(ヘブル人への手紙58-9節)

「キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり」

 

 ですから、私たちと私たちの教会が、神のお心にかなう願いと計画を持ち、これからの一年を神の前に喜ばれる歩みのために何が大切なのでしょうか。それはキリストの従順を学び、キリストに従順なクリスチャンであり、教会でありましょう。そのような従順なクリスチャンと教会に神は願いを起こさせ、実現に至らせてくださるのです。今年の年末、私たちのくちびると教会に神への感謝と賛美が尽きない日が訪れていると信じましょう。どうか、本日の新年礼拝が皆様にアーメンであれば、必ずハレルヤ!と神の栄光が皆様とご家族と教会に訪れることを信じましょう。