福音伝道教団ー葛西福音キリスト教会 礼拝聖書のお話し 2021年8月29日(日)
1.テキスト「創世記21章1から8節」
2.タイトル「笑いを備えて下さる主」
『サラは言った。「神は私に笑いを下さいました。これを聞く人もみな、私のことで笑うでしょう。」』
序)「サラは笑いものにされたの?それとも笑いを備えられたの?
本日のタイトルは、「笑いを備えて下さる主」です。でも、先ほどの聖書では。
(創世紀21:6)『サラは言った。「神は私を笑われました。聞く者はみな、私に向かって笑うでしょう。」』。と、神様がサラを笑い者にされたように受け取れます。これでは、息子のイサクを見るとき、呼ぶとき、サラは悲しくなってしまいますよね。
でも、少し古い口語訳聖書では(創世紀21:6)『そしてサラは言った、「神はわたしを笑わせてくださった。聞く者は皆わたしのことで笑うでしょう」』となっていますし。
最新の新改訳2017聖書では(創世紀21:6)『サラは言った。「神は私に笑いを下さいました。これを聞く人もみな、私のことで笑うでしょう。」』です。
新共同訳聖書では(創世紀21:6)『サラは言った。「神はわたしに笑いをお与えになった。聞く者は皆、わたしと笑い(イサク)を/共にしてくれるでしょう。」です。
英語聖書NKJVも、だいたい「神は私を笑う者とされ、すべての人が私と共に笑うでしょう」、TEVもだいたい「神は私に喜びと笑いを与え、すべての人は私と共に笑うでしょう」というふうな訳です。だいたいの訳ですが。大切なことは、神様は私たちの人生に笑いを備えて下さるお方だということです。では、聖書の語りかけに耳を傾けて参りましょう。
Ⅰ.「神の臨在がアブラハムを訪れる」
神様はいつも私たちを祝福されようと私たちの人生に触れてくださるお方です。その神様の恵みが私たちの人生に触れるとき、神様の備えて下さる笑いをいただけるのです。
でも、その神の恵みが私たちの人生に訪れるために必要なことがあります。それは神様を信じること、そして愛と謙遜です。そのことを聖書は私たちに語りかけています。
(創世記18:2)「彼が目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。彼は、見るなり、彼らを迎えるために天幕の入口から走って行き、地にひれ伏して礼をした。」
「神の出来事は、いつも驚き」と神学者が言いますが、アブラハムは天幕の入り口で暑さを逃れるためにうとうとしながら座っていたのでしょうか。突然の三人の訪れに気づくのが遅くなり、急いで出迎えに走っていきます。そして「地にひれ伏して礼をし」て、謙遜な態度で旅人を出迎えます。そして、まだその一人が神様とは気づかないアブラハムは愛をもってもてなしました。足を洗う水を用意し、また食事の用意も整えました。
5節の「せっかく、あなたがたのしもべのところをお通りになるのですから」とは。直訳すると「(あなたが通過されるのは)このためですから」と。それは旅する人々との出会いの一つ一つに神様の摂理を覚え、その中での自らの責任を強く自覚し、まさにアブラハムの愛と謙遜さが行動として表されています。そして、この三人のうちの一人が神様であったとアブラハムもサラも気づくことになります。
(創世記18:14)「【主】に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子ができている」と。
神様は先のアブラハムに約束されていた男の子を来年、サラに与えると言われました。この夫婦は完全な人ではありませんでした。イシュマエルの誕生もありました。そして主を前にして神のみことばを笑いました。しかし、全知全能の神様は、祝福の約束を実現されると言われるのです。私たちも完全な者ではありません。しかし、アブラハムように、愛と、謙遜とを追い求めましょう。そうするなら、私たちは神の臨在と恵みに触れられるのです。また、どうか、神様を信じてください。もしあなたが、神様を信じるなら、あなたの罪は赦され、そしてアブラハムのように神の祝福あふれる人生を歩めるのですから。
その後のアブラハムの歩みはどうでしたでしょう。彼は20章で、人を恐れる信仰者の姿をさらします。こともあろうにイサクのお母さんになるであろう、妻のサラを自分の妹だと言って王様に差し出すのです。それを神様が「あの女は夫のある身だ」と介入されて事なきを得る、そのような事件も起こしてしまいます。しかし、それでも神様はご自身の約束を果たされようとされるのです。
(創世記21:2)「サラはみごもり、そして神がアブラハムに言われたその時期に、年老いたアブラハムに男の子を産んだ。」と。
そして、神様に命じられた通り、その男の子にイサクと名付けるのです。この「イサク」、「彼は笑う」の意味で、アブラハムにとっても、サラにとっても男子誕生の約束への不信仰の告白の笑いでした。したがって笑ったという不信仰の戒めの意味を持つことも事実ですが。その名は、両親さえもまじめに考えられなかったほど不思議な、自然法則に逆行する神のわざの記念碑でもありました。ですからサラは言います。
【新改訳2017】(創世記21章6節)『サラは言った。「神は私に笑いを下さいました。これを聞く人もみな、私のことで笑うでしょう」』と。
直訳は「神は私に対して(のために)笑いをつくられた」と。神様が私を笑わせてくださる。また、神様の大いなるみわざの故に今は喜びの笑い、感謝の笑いを備えて下さる主なのだと。
神様は私たちに祝福を与えようと聖書を通して私たちに語りかけておられます。
ですから、イエスの十字架を信じて下さい。そうするならアブラハムに与えられた祝福、罪の赦しと人生の祝福を必ず、あなたは経験することができるのです。
また、クリスチャンの皆様、アブラハムの歩みには多くの学ぶべきものがあふれています。アブラハムは完全な人ではありませんでした。しかし、神様を信じ、神のことばを大切にし、神と人を愛すること、謙遜であることを追い求める人でした。そのような人に神の臨在と神の恵みが訪れるのです。
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