葛西説教2020年10月18日
1.テキスト「創世記12章1-4節」
2.タイトル「父なる神のアブラハムへの愛」(父なる神の承認の愛)
3.中心聖句「創世記12章1-2節」
「主はアブラムに仰せられた。『あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。』」
4.本文「父なる神のアブラハムへの愛」(父なる神の承認の愛)
ヘミングウェイの短編集に、このようなジョークが記されているそうです。ある父親が新聞に「パコ(日本の佐藤、鈴木のようにスペインでは、ありふれた名前)、このホテルで会おう。過去のことはすべて赦した。父より」と投稿しました。すると、ホテルにパコという少年が800人も集まったとか。このジョークのように、多くの息子たちが父から「愛される子」として受け入れられることを切望していると言われています。そして、父親の愛は子どもの存在を肯定する愛と言われていますが、それに対して、母親の愛は子どもの存在をありのまま包み込む受容の愛と言われています。それは母親の愛は、子どもが獲得するものではなく、生きているだけで愛される愛だからです。その母親の愛の経験は、子どもの情緒面の健全な発達に必要不可欠なものだと言われています。
それに対して、父の愛は承認の愛と言われています。すなわち、その愛が条件付きであり、期待に応えることでしか受け取れない愛と考えられています。そのため、子どもが愛されるにふさわしい者となり、期待に応えることを求める承認の愛だと言われています。
私たちを愛される父なる神の愛、その愛をアブラハムの話から共に学びましょう。それはアブラハムが信仰の父と呼ばれるように、神の御前に歩むすべてのクリスチャンの信仰を学ぶことになるからです。
タイトル) 「父なる神のアブラハムへの愛」(父なる神の承認の愛)
①父なる神の要求を受けるアブラハム
本日の聖書個所には、父なる神が信仰の父と呼ばれるアブラハムをご自身のご計画にお招きになられる様子が記されています。
「主はアブラムに仰せられた。『あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。』」
父なる神がアブラハムに約束されたのは、アブラハムが父の家を出て「わたしの示す地へ行きなさい」ということでした。そして、その神の要求に応じるなら、「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう」というものでした。 そのアブラハムの信仰のクライマックスと呼ばれ、そして私たちの教会の2020年度み言葉、創世記22章14節の箇所で、父なる神はアブラハムのひとり子イサクをささげることを要求なさいました。その神の要求に従い、アブラハムがイサクを殺そうとした瞬間、父なる神はみ使いを通して声をかけられ、ひとり子イサクにかけたアブラハムの手を止めさせられました。
「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」
アブラハムは父なる神の要求にこたえたことが認められ、父なる神から承認という愛を受け取ったのです。その神への従順に対する祝福の約束を受けることができました。
人間の父と子どもの愛の関係においても、同じように言えるのです。もし、父が子どもに何の期待もせず、要求もしなければ、子どもは父親からの愛を受けていると感じることができないのです。何も要求しない優しい父は、無理難題の要求ばかりする父よりは無害かもしれません。しかし、何も要求しない父は子どもを承認の愛で愛していないのです。前の週にお話しした映画「エデンの東」でも、ジェームス・ディーン扮する弟のキャルが、父親に求めたのは、必要とされる愛、要求される愛でした。それが映画のラストシーンでしたね。それがキャルが父の愛を感じ、父に承認された子どもになれたと感じた映画のラストシーンでしたね。
旧約聖書の父なる神とアブラハムの関係は、新約聖書のイエスと弟子たちにも見ることができます。イエスはこのように、自らを信じ従う者に教えられました。
「あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。」
このイエスの弟子たちへの要求は、私たちに対しても求められています。しかし聖書はこのイエスの要求である完全を律法主義的に求めてはいません。律法主義とは、律法を、行いを通して厳守することで、神の前に完全な者、義と認められた者となることです。聖書は律法主義ではなく、福音主義で神の前に完全な者、義と認められた者となりなさいと教えます。
(ロ-マ人への手紙3章24節)
「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」
福音主義とは何か、それはイエス・キリストの贖いのみわざによって神の目に義と認められることです。そのことにより、クリスチャンは神の目に、キリストにあって完全なのです。そして父なる神は、恵みによって義とされた者が、神の子として生きることを望まれます。
「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。」
神は私たちが「ありのままでいること」は望まれていません。ただ、完全な者になれるかどうかは問題ではありません。しかし、父なる神の期待に応えることを、聖霊とともに祈り求め続ける生き方が大切なのです。それが父なる神の祝福を受ける道だと、聖書は私たちに教えています。
「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」
おすすめ(祈り)
①もし、あなたが親の愛に飢え渇いておられるなら、イエスの十字架を信じましょう。そうするなら、神の愛はあなたの心の飢え乾きを、必ずいやされます。
②もし、あなたが父親として、また母親として子どもを愛することができないことに苦しんでおられるなら、イエスの十字架を信じましょう。そうするなら、神の愛があなたの心の中で愛情の泉となり、あなたと子どもの関係を、愛の関係に導くことでしょう。
③そして、クリスチャンの皆様、神はあなたに神の子どもとしての生き方を要求されていることを心にとめましょう。神の要求が、どれだけ今のあなたには困難であり、重荷に感じられるとしても、内に住まわれるイエス、また聖霊の働きを信じ、従うことを願い求め続けるなら、神は必ずあなたを、神の子に相応しいあかしを立てる者と変え続けるでしょう。
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