新約聖書から神様の愛をあなたへ

福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

「罪人を招く」

葛西説教20220814

1.テキスト「マタイ9:9-13

2.タイトル「罪人を招く」

3.中心聖句「9:13

 「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」

4.本文「罪人を招く」

 ⑴序「救う力はみことばにある」

  マタイの福音書89章は、イエス様のことばが、奇跡をおこなう力となって現われることを明らかにしています。すなわち宣教の後に神様の不思議なる力が現わされているのです。そして89章を通して、九つの奇跡が三つずつまとめて記され、その一つとして、罪人の救い、マタイの召命が記されているのです。聖書学者はそのことを『「しかし、私はあなたがたに言います」(5:22.28.32.34.39.446:29)と言われるイエス様は、その神的権威を具体的しるしをもって証明される』と言います。イエス様がマタイに言われました。9節、『「わたしについて来なさい」と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った』と。聖書学者は『「わたしについて来なさい」は、短いが、すべてを変える革命的力を持っている』と。

 ここに、私たちの宣教の力、また宣教の希望があります。罪人の救いとは神様のみことばが働かれるところに起こされる神様のみわざなのです。私たちはマタイの召命から神様のみことばには人を救う革命的力があることを、本日改めて心に刻みたいと願います。

 

 ⑵本論1「取税人マタイ」

 皆さんはマタイという名前をよく聞いたことがあるでしょうね。新約聖書にあるマタイの福音書を書いたのは、マタイだとされています。このマタイはイエス様の12弟子の一人としてすばらしい働きをした人です。

 しかし、イエス様と出会う前は、取税人という仕事についていた人でした。取税人とは、そのことばの通り、人々から税金を取り立てる仕事をする人です。この取税人は、今の日本の税務署の働きとは全く違います。取税人は二つの点で人々からひどく嫌われ、憎まれていました。一つは、同胞ユダヤ人から徴税して、異邦人であるローマ皇帝や、皇帝によって任ぜられた領主にそれを渡す仕事をしていたので、まさに裏切り者・売国奴の類でした。そして徴税は請負であったので、規定額以上のものを徴収して、差額で私腹を得ることができた。

 でも、マタイは心の中ではどう思っていたのでしょうか。友達がたくさんできて、人々に愛され、温かい笑いや挨拶があり、そんな今と全く違った生き方を望んでもいたのではないでしょうか。そのような生き方ができたらどんなに楽しいだろうかとも願っていたのではないでしょうか。そのようなことを私は考えてしまいますが。

 

 ⑶本論2「わたしに従ってきなさい」

 そんなある日、マタイがいつものように税金を取り立てるところに座っていました。マタイの取税所は交通の要所カペナウムで、エジプトからダマスコに向かう「海の道」がそこを通り、マタイはここを通過する物品に課税していた一人と思われています。また、彼は直接ローマ人に雇われていたのではなく、おそらくヘロデに仕えていたと考えられています。

 そこにイエス様が通りかかられた。イエス様は、マタイの前で立ち止まり、彼をじっと見つめて言われました。9節『「わたしについて来なさい」と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った』と。マタイはイエス様のことばを聞くとすぐに立ち上がり、イエス様に従う弟子となったのです。まさに先の聖書学者が言う通り、イエス様のみことば、神様のことば、聖書のみことばには「すべてを変える革命的力」があるのです。

 そのときから、マタイは罪の奴隷、お金の奴隷から解放され、イエス様の弟子、自分の十字架を負ってイエス様に従う者とされたのでした。

 

 ⑷本論3「罪人を招くため」

 イエス様の招きのことばに応答して、従順の信仰を持って従うマタイは新しくされました。そしてイエス様と弟子たちを夕食会に招待しました。そしてそこに今までの仲間であった取税人たちも招きました。そうです。イエス様に従ったマタイがまずしたことは、イエス様を必要としている人々を自分の家に招いて食事会を開いたことでした。彼はイエス様と罪人との橋渡しとなったのです。

 でも、パリサイ人たちは、弟子たちに言いました。「なぜ、あなたがたの先生は、罪人たちと食事をするのか」と悪口を言いました。それを聞かれたイエス様は13節「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです」と言われたのでした。

 イエス様が来られたのは、パリサイ人たちのように、自分には罪がない、私はきよい人だと思っている人を招くためではなく、自分の罪がわかって、救われたいと求めている人を招くためなのです。イエス様が十字架にかかられたのは、そのような心砕かれた罪びとを招いて救うためなのです。

 

 ⑸勧め「罪人を招く」

 

 私たちもイエス様に招かれています。私には罪などない、という高ぶった思いはありませんか。「私は罪人です」と、へりくだった心で神様の前に出ましょう。神様は喜んで私たちの罪をゆるし、そして私たちを神様の働きのため、神様と罪人との橋渡しのために用いてくださいます。