新約聖書から神の愛をあなたへ

福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

上にあるものを求めて生きる

福音伝道教団 ・ 葛西福音キリスト教会 聖書のお話し 2020年8月23日

1.テキスト 「コロサイ人への手紙31節~4節」

2.タイトル 「上にあるものを求めて生きる」

3.中心聖句「コロサイ人への手紙31節」

「もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい」

 

4.本文 「上にあるものを求めて生きる」

  序)「何を求めて生きるのか」

アンパンマンのマーチという歌があります。子供番組用の歌なのに、深い意味を感じます。こんな歌詞でしたね。「何のために生まれて、何をして生きるのか。答えられないなんて、そんなのはいやだ!」と。あなたはこの歌詞を聞いて、自分の人生ついて答えられますか。

  聖書は私たちにとって一番大切な、何のために生きるのかということについて、最高の答えを私たちに教えてくれるのです。本日はそのことについて一緒に考えてみましょう。

 

テーマ)「上にあるものを求めて生きる」

1.それはどのような生き方なのか

そのことについて聖書はこのように教えています。

 

(コロサイ人への手紙31)

 「こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます」

 

聖書は私たちに、イエス様を信じ、霊的にそのよみがえりのいのちの恵みにあずかったのなら、「上にあるものを求めなさい」と勧めます。

では、「上にあるもの」とは何のことなのでしょうか。

それは、地上的な一時的には価値があるけれども、いつかは価値がなくなるものや、神様がお喜びにならないものなどではなく、神様がお喜びになられる永遠に価値のあることです。

イエス様も地上的なものに執着して生きるのは、むなしいと教えています。

 

(マタイの福音書 619)

「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます」

 

また、私たちは、いつか死を迎えなければなりません。そのような私たちが、地上の宝にこだわって生きることはむなしいと感じませんか。

 

2.霊的視点が必要

 では、「上にあるものを求める生き方」に必要なものは何でしょうか。聖書はこのように教えています。

 

(コロサイ人への手紙32)

「あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい」

 

  聖書は「天にあるものを思いなさい」と勧めています。

ですから、私たちには天にあるものを思うための、地上のもの、天にあるものを見分ける「霊的な視点」が必要なのです。

「霊的な視点」とは、すべてのことを、人が見るようにではなく、神様がご覧になるように見るということです。具体的には、神のことばである聖書を基準として、この世のすべてのものごとを見るということです。

 

3.その生きる力の源は神様と信仰

 最後に、「上にあるものを求める生き方」の根源的な力と保証があることを聖書から学びたいと思います。

 

①「上にあるものを求める生き方」の根源的な力

クリスチャンの生活には確かに聖書を学ぶことや努力も必要なことではあるでしょう。しかし、私たちの勤勉さや日々の努力だけで「上にあるものを求める生き方」ができるのではないのです。聖書はそのための根源的な力の源についてこのように教えています。

 

(コロサイ人への手紙33)

「あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです」

 

聖書は先の12節で、私たちにとってすばらしい道を、勧める理由を34節で明らかにします。昔のギリシャ人は、人が死んで葬られることを、地中に隠されると表現しました。

ですから、パウロは私たちがイエス様を信じ、キリストとともに霊的に死んで葬られることを、「キリストとともに、神のうちに隠されてある」と言い表して、私たちのいのちが神様に隠され、守られていると教えています。

つまり、私たちがイエス様を信じ、洗礼を受け、教会に加えられるということは、私たちの大切ないのちが神様のうちに包まれ、保たれているということなのです。私たちの人生は、イエス様を信じた時から、イエス様に隠され、守られているのです。

だから「上にあるものを求める」私たちの人生は、どんなときも決して無駄にならないのです。

 

②「上にあるものを求める生き方」の保証

そして更に、「上にあるものを求める生き方」の保証、私たちの人生の結末の保証について、このように聖書は教えています。

 

(コロサイ人への手紙34)

「私たちのいのちであるキリストが現れると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現れます」

 

聖書は約束します。やがてキリストであるイエス様が栄光のうちに再臨される日が必ず、来ると。そしてその日には、今まで神様に隠され、守られていた私たちのいのちが、全き栄光の姿をもってすべての人にはっきり見られるようになるのです。

このように、私たちが目指す「上にあるものを求める生き方」は、必ず、すばらしいゴールが保証されているのです。

ですから、神様を信じていても、うまくいくと感じる日もあり、そうでないと感じる日もあるでしょうが。日々の浮き沈みに惑わされずに、どのような時も「上にあるものを求め」続けましょう。聖書はこのように教えているのですから。

 

(ローマ人への手紙828)

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」

 

もし、神様をまだ信じておられない方がおられましたら、ぜひ、信じていただきたいと願います。もし、あなたがイエス様を信じるなら、あなたの人生は、どんなことがあっても、決して無駄にならず、豊かな祝福ある人生を生きることができるのです。そしてすべてのクリスチャンとともに「上にあるものを求める生き方」を、あなたも生きてみませんか?