福音伝道教団 葛西福音キリスト教会 聖書のお話し2021年6月27日(日)
1.テキスト「マタイ26:69~75」
2.タイトル「ペテロの失敗」
3.中心聖句「マタイ26:32」
「しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」
4.本文「ペテロの失敗」
序)「ことばのなまりとイエスの裁判について」
本日の聖書の箇所では、ペテロのことばのなまりからペテロの正体がバレそうになりました。東京の人のしゃべりは、比較的に標準語だと言われていますが。日本にはおもしろい方言がいくつかあります。九州のおもしろい方言でよく知られているのは、「とっとっと?」。これは「席を取ってあるの?」です。また「とっとっとー」。これは「取ってあるよ」という意味です。また、富山での有名かつおもしろい方言では、おはぎのことを「はんごろし」というそうです。例えば、実家の母の手作りおはぎを自慢すると。私の母は、はんごろしが自慢でね。などと、方言を知らない人は、恐ろしくなって、警察に相談するかもしれませんね。
本日のテーマ)「ペテロの失敗」
先週は、「神の愛に生きる」というタイトルで、ダビデとその息子、アブシャロムの関係から、愛について聖書から教えられる時とさせていただきました。本日は、ペテロの失敗からイエスの本当の愛と希望について聖書から教えられたいと願います。
Ⅰ.「ペテロたちのイエスへの愛」
イエスの弟子であるペテロたちのイエスへの愛は、どのようなものだったのでしょうか。十字架を前にして、イエスは弟子たちに、自らに何らかのことが起きた時、みんなはイエスにつまずいて散り散りバラバラになると言われました。
そのとき、ペテロは言います。「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません」(マタイ26:33)と。ペテロは自分が筋金入りの弟子だから、他の奴らとは違うと言い張ります。しかし、イエスは「まことに、あなたに告げます。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言います」(マタイ26:34)とペテロに預言されました。ペテロとそのほかの弟子たちはイエスの預言を否定して『「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」弟子たちはみなそう言った』(マタイ26:35)と。
このイエスに対するペテロ、そしてほかの弟子たちのことばがいかに軽いものだったかは、本日のテキストにあるように、皆様もよく知るところですね。ですが、これは私たちの本当の姿かもしれません。この弟子たちの態度は私たちへの戒めでもあると思いませんか。
「これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです」(Ⅰコリント10:11)。
Ⅱ.「ペテロの失敗」
では、ペテロの失敗とはどのようなものだったのでしょうか。イエスの裁判について、福音書の記事をまとめると、ゲツセマネの園での逮捕の後、イエスは少なくとも6つの裁判の段階を受けられました。本日のテキストは第二回目の裁判にあたります。
ペテロはその第二回目の裁判で、三回、イエスを否定します。最初は、「何を言っているのか、私にわからない」というごまかしであり、おとぼけです。次は、「そんな人は知らない」と誓いを立てます。そして最後には、「そんな人は知らない」と激しいことばでのろいをかけて誓い始めてしまうのです。それは「それがうそなら、私はのろわれてもよい」ということでした。
ペテロはイエスのために自分のいのちを差し出すことを切望していましたが、しかし自分のいのちを犠牲にできるほどにはイエスを愛してはいなかったのです。そしてこれはペテロだけのことではないのです。聖書も言います。「あなたがたのうちには、神の愛がありません」(ヨハネ 5:42)。
ペテロはゲツセマネで捕らえられたイエスを見捨て、そして大祭司の前で裁かれているイエスをためらうこともなく、また見捨てたのです。ペテロはイエスを二度見捨てたのです。ペテロはイエスよりも自分のいのちを愛したのでした。私たちだったら、どうでしょうか?
Ⅲ.「イエスの愛」
しかし、イエスの愛は尽きることはありませんでした。なぜでしょうか。イエスにとってペテロたちの行動は想定内だからです。イエスはこのように預言されました。
『「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散り散りになる』と書いてあるからです。しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます」』(マタイ26:31.32)と。
イエスは罪と弱さの故にイエスを見捨てる弟子たちに、私は十字架の死で終わらずに、よみがえり、そしてガリラヤで待っていると励まされたのでした。ガリラヤで待つとはどういうことでしょうか。
イエスは弟子たちの「つまずき」予告を、ゼカリヤ書から引用し預言されたのでした。
「万軍の【主】の御告げ──牧者を打ち殺せ。そうすれば、羊は散って行き、わたしは、この手を子どもたちに向ける」(ゼカリヤ書13:7)。
ここには牧者が打たれて羊が散る時、神の祝福の御手が「子どもたち」「小さい者たち」に向けられ、続く8と9節で、新しい神の民が起こされると預言されているのです。この預言の祝福部分である後半の部分を、イエスは、「しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます」と言い替えられたのです。すなわち、ペテロは自分の愛に絶望しますが、復活のイエスと出会い、真の愛と希望を見いだすことになるとイエスは預言されたのです。そして事実、マタイ28章後半、ガリラヤの山でのイエスとの再会を通して、新しい使命とこの世の終末に至るまでの励ましと祝福をペテロとイエスの弟子たちはいただくのでした。
勧め)「ペテロの失敗」
本日は、ペテロの失敗を通して、イエスに本当の愛と希望があることを教えられたのではないでしょうか。ペテロは失敗して自分に絶望しました。しかし、そのことを通してイエスへの信頼とイエスの真の愛を知ったのです。ペテロには真実の愛も希望もありませんが、イエスには真実の愛と希望があるのです。ですから、私たちも失敗することがあるかもしれません。また、自分に失望し、生きている意味さえも、見失う時もあるかもしれません。しかし、どうか、私たちもペテロのように、イエスを信じ、信頼しようではありませんか。そうするとき、私たちの人生は新しくなるのです。また、私たち自身も新しくされ、新しい自分として生きることができるのです。
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