葛西福音キリスト教会 礼拝説教2020年11月1日(日)
1.テキスト「サムエル記第二13章1から14節」
2.タイトル「真実の愛と偽りの愛」
3.中心聖句「第一コリント人への手紙13章4節から7節」
「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。」
4.本文「真実の愛と偽りの愛」
序)男女の愛
この世の中で一番素晴らしい愛は男女の愛で表されることが多いですね。聖書も神と教会の結びつきを、結婚した男女の愛の関係で表しています。しかし、同時にこの男女の愛のむなしさも週刊誌やテレビで多く取り上げられているのも事実でしょう。その理由についてこのような人のことばがあります。「何かに依存するすべての愛は、もしその物がやめば愛もやむ。もし何物にも依存しなければ、いつまでも絶えない。」と。何かに依存するのは、どのような愛でしょうか。それはアムノンとタマルの愛です。何物にも依存せぬ愛とはどのような愛でしょうか。それはダビデとヨナタンの愛です。自己中心の愛、条件付きの愛は真実の愛ではないのです。
クリスマス・アドベント前の数週間、ダビデ王の父としてのダメダメな子どもへの愛し方を通して、正しい父親像を学びたいと願っています。しかし本日はその前の話として、アムノンという男性の恋心を通して真実の愛について、学ばせていただきましょう。
私たちは真実な愛の神を知り、そして信じてその愛を味わい、さらに御霊の働きによりその愛に生きる者と変えられたいと願います。
①アムノンの偽りの愛
ダビデには異母兄弟からなる20人以上の息子たちがいました。ダビデはその中でも長男のアムノンに、自分の次の王様になる王位継承者としての期待をかけていました。ダビデは父として、長男のアムノンを承認していました。ここで、問題となるのがダビデの父としての愛です。ダビデはアムノンにどのような人間であってほしいと願い、また要求していたのでしょうか。それは後の話で出て来ることでしょう。
今、司会者にお読みいただいたように、アムノンは異母兄弟の美しい娘、タマルに思いを寄せるようになりました。しかし、その恋は近親への愛ゆえに、苦悩の日々を過ごしていました。それでアムノンは募る妹タマルへの恋心に悩み、憔悴していきました。その様子を知ったいとこのヨナダブが気づき、悩みを聞き出します。
このヨナダブについて聖書は3節で、「非常に悪賢い男」と紹介していますが、聖書にはこのような言葉があります。
「滅びに至らせる友人たちもあれば、兄弟よりも親密な者もいる。」
まさに、このヨナダブこそ、滅びに至らせる友人のような者でした。彼は、最悪のアドバイス、罪びとの道をアムノンに教えます。まず、仮病を装い、タマルに食事を運んでもらい、そして部屋で二人きりになったところでいきなり襲うというものでした。アムノンはそのヨナダブの提案を受け入れ、実行します。聖書は人が罪に陥ることをこのように言っています。
「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。」
人は自分の欲によって誘惑され、心から欲を退けずに養い続けると罪を生むのです。アムノンのタマルへの恋心は愛とは呼べないどころか、それは自己中心の罪と呼べるものでした。
では、真実の愛とはいかなるものなのでしょうか。聖書はこのように教えています。
「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」
私たちは真実の愛を求めるとき、それはイエス・キリストの十字架に示された、神の愛にのみ見いだせるものなのです。そして、その愛は真実の愛を持たない、自己中心な思いしかない罪びとの私たち、人間にとって希望となるのです。聖書はその希望についてこのように教えます。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
その神の愛による私たちの希望が、この一節の聖句によって完全に示されています。神の一人子であるイエスの死による「罪の赦し」と天国への切符でもある「永遠のいのち」は、罪と死の支配下にある私たち全人類に対して、神の愛のゆえに与えられました。
私たちは、この神の愛のゆえに、どんな地域の、どんな人でも、御子を信じ、その救いのわざを受け入れることにより「罪の赦し」を受け、「永遠のいのち」を持ち、「神の子どもとされる特権」を与えられるのです。
そして、神を知り、神を信じた人に、聖書は真実な愛に生きるようにと勧めます。
「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。」
まず、愛の特徴として、第一に、「寛容」と「親切」をあげています。「寛容」とは、他人の存在と行為を自分の価値によってのみ判断しないことです。どのような態度や行為に対しても、根本において彼を受け入れ続けることです。また、かかわりを断たないことでもあります。そして、その後の5節から7節はその具体的な事柄について「寛容」と「親切」を説明しているのです。
最近、ブレイディ・みかこさんの「僕はイエローでホワイトで、ちょっぴりブルー」という本を読みましたが、その中で、シンパシーとエンパシーについて触れられていました。ちなみに、シンパシーとは、他人と感情を共有すること。エンパシーは、他人と自分を同一視することなく、他人の心情をくむことです。真実な愛の特徴である「寛容」と「親切」には、自分と考え方も行動も異なる人を思いやるというエンパシーとも言えることが大切なのです。
そして、この真実の愛の神を知り、そして信じる人には、聖霊により、神の愛が心に注がれているので、追い求めることが可能なのです。聖書はこのように約束しています。
「私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」
祈り)「勧め」「真実の愛と偽りの愛」
① まだ、イエスの十字架を信じておられない方のために、「主よ、イエスの十字架を信じさせてください。どうか、真実の愛のない、罪びとのわたしの罪を赦し、救ってください。」
② すでにイエスを信じておられるクリスチャンの方のために、「主よ、あなたを信じて救われてはおりますが、いかがでしょうか。どれだけあなたの御心を喜ばすことができたでしょうか。私たちの夫婦の愛、また親子の愛はあなたの御心にかなう関係であったでしょうか。どうか、聖霊のお働きにより、私たちのあらゆる人間関係に真実の愛が溢れますように。
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