葛西福音キリスト教会 2021年3月21日(日)聖書のお話し
1.テキスト「第二サムエル記13章32節~14章21節」
2.タイトル「友愛」
「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。」
4.本文
友愛が本日のテーマです。本日のテキストには二人の友人が登場します。ヨナダブとヨアブです。ヨナダブはアムノンとアブシャロム、ダビデの友人。ヨアブはダビデとアブシャロムの友人です。ただし、その友人関係に愛はあったのでしょうか。
愛について新キリスト教辞典では、「親切や愛や恵みや誠実さは(神の愛の)契約の枠の中で真に理解され得る」と教えられていました。そして、この愛の契約関係がイスラエルにおける社会的な責任・義務の基礎となり、親族・友人、その他の間における愛と誠実と親切の源であったと。
したがって、神からの愛が神と人への愛となるのです。そしてその神への愛と人への愛を守り行う者が、聖書では「聖徒」「神を恐れる者」と呼ばれる人だと教えます。
では、ヨナダブとヨアブはどのような友人関係を、友愛を築いていたのでしょうか。そして、これは彼らだけの問題ではなく、私たちの人間関係、家族関係、友人関係の問題でもあるのです。しかし、安心してください。この愛の問題に、イエスは十字架で勝利を取られたのです。それゆえ、イエスの十字架の救いにより頼む私たちは、「聖徒」「神を恐れる者」と神は認めてくださるのです。
ヨナダブは一言でいって、知恵があり優秀ですが、愛のない知者と呼べる男でした。ダビデの甥にあたるにもかかわらず、ダビデの長男であり自分のいとこでもあるアムノンに、恋しているタマルを手に入れるための悪知恵を授けます。また、32節の「胸に持っていたこと」と言っているので、アブシャロムの心に秘めた、アムノンへの怒りを聞くことができる友人でもあったと思われます。
「今、王さま。王子たち全部が殺された、という知らせを心に留めないでください。アムノンだけが死んだのです。」
このように、彼は、ニュース解説者のように、冷静な第三者として事件の動きを解説します。彼はこの事件の裏の首謀者でしたが、36節の王子やダビデ王、そして家来たちが激しく泣き叫ぶ中で、どのような表情をしてその場にいたのでしょうか。
二人目は、ヨアブです。彼はダビデの甥にあたる親族です。また将軍としてダビデ王の命令を受ける部下ではありますが、本日のテキストの後半に登場して、策を弄し、ダビデ王にアブシャロムを呼び寄せる決断をさせます。本日のテキストだけを読むと、ダビデ王のために良い提言をする良き友人のようにも見えます。しかし、その反面、殺す必要のないアブネル将軍を殺し(第二サムエル記2章)、ダビデ王の命令により忠臣ウリヤ殺害に加担(第二サムエル記11章)、そうかというとダビデ王の命令に背きアブシャロムを殺害(第二サムエル記18章)、また罪のないマアサ将軍を殺害し代わりに自分が将軍に返り咲きます(第一列王記2章)。
このようにヨアブは有能な軍人ですが、その時々の判断基準に正しさや愛を感じないのではないでしょうか。ヨアブはその時々の損得勘定やその時の勢い、また自己中心が判断基準のように思えます。そしてヨアブの最後は、ダビデの遺言により、ソロモンの部下にその罪を裁かれ殺害されます。
ヨナダブもヨアブも優秀で知恵のある人物でした。しかし、聖書が言う通り、すべての人間は罪びとなのです。ですから、友愛と口では語っても、その心は自己中心なのです。ですから、その時々の損得勘定、罪のために本当の友愛はないのです。ではどうすればよいのでしょうか。
聖書は語ります。イエスの十字架に私たちの救いはあるのです。神の御子イエスは、私たちの救いのために、自ら進んで十字架でいのちをお捨てになられました。そして三日後に復活され、私たちの罪に勝利されました。
ですから、イエスを信じる人は罪を赦され、罪に勝利し、神からいただいた愛で人を愛することができるのです。イエスの十字架への信仰は、本当の友愛を私たちの心に備えて下さるのです。
「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。」
パウロが「信仰・希望・愛」と言う場合、このみことばは信仰と愛との密接性と連続性を教えてくれます。それはそれぞれ断絶したものではなく、愛へと続く信仰であり、信仰に基づく愛です。イエスによる神からの愛は、信じる人に神への信頼と確信を生み出し、この神への信仰が私たちのうちに人に対する具体的な愛となって現れるのです。また、このようにも聖書は語ります。
「キリスト・イエスにあっては、・・・愛によって働く信仰だけが大事なのです。」
このみことばは愛が信仰に基づくものであること、神への信仰こそ正しい愛を生み出すものであることを示しています。「愛によって働く信仰」とは「愛を生み出し、愛という具体的な形を現す信仰」ということであって、「愛が生み出す信仰」ではありません。
また、残念ながら教会でもつまずく人がいることも確かです。このようなことばが聖書にあります。
(箴言14章4節)「牛がいなければ飼い葉桶は清潔だが、豊作をもたらすのは牛の力。」
このみことばは教会の可能性は建物や組織にあるのではなく、教会を構成している一人ひとり、つまりキリストのからだである教会員にあること。また同時に、クリスチャンといえども、罪赦された罪びとである以上、問題が生じることは避けられないことを教えられます。教会は天国の前味ではありますが、そこは天国ではないのです。ここに教会の交わりの大切さと難しさがあります。
ですから、教会の交わりのために、次のことが大切です。「励まし合うこと」「互いに赦し受け入れ合うこと」「つまずきを避けること」です。
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