新約聖書から神様の愛をあなたへ

福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

「荒野の声」

西説教20220529

1.テキスト「マタイ3:1-12

2.タイトル「荒野の声」

3.中心聖句「マタイ3:3

『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ』

(主の道の備えをするヨハネの中心メッセージは悔い改めであったことを強調し、自分の罪を悔い改める者となる。)

4本文「荒野の声」

 序)「はじめに」

 イエス様が、いよいよその「使命」に立ちあがられる日が近づきました。イエス様は30歳になられようとしていました。そのイエス様のお働きのために、「道を備える」使命がバプテスマのヨハネに与えられていたのです。本日はそのバプテスマのヨハネが伝えようとしていた悔い改めとは何か、そして主の道をまっすぐにとはどういうことかを教えられましょう。

 

本論)「荒野の声」

Ⅰ「バプテスマのヨハネの使命」

 バプテスマのヨハネは叫びました。2節「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と。彼は、神様から特別な使命を与えられていました。それは、人々にバプテスマを授け、心を神様に向けさせるということでした。救い主、イエス様の宣教活動開始に備え、主の道をまっすぐに備えるのが彼の仕事でした。

 多くの人々が、続々とヨルダン川のヨハネのところに集まって来ました。そして、心から罪を悔い改め、彼からバプテスマを受けました。今まで犯した罪は、小さな罪でも大きい罪でも、全部を悔い改めたのでした。

 私たちの教会の活動においても、主の再臨に備え、それぞれに与えられている使命に生きようではないでしょうか。

 

Ⅱ「ヨハネのメッセージ」

 ヨハネのもとには「パリサイ人」や「サドカイ人」も集まって来ました。しかし、彼らは罪を悔い改めようとして来たのではありませんでした。簡単に説明すると、パリサイ人やサドカイ人とは、律法や祭壇に救いがあると主張していたからでした。ただ、人々の人気を集めていたヨハネ、群衆が預言者と認めているヨハネを一目見ようとしてなのでした。彼らは、自分に罪があるとは思っていませんでした。

 そんな彼らに対して、ヨハネは厳しく言いました。78節「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい」と。

 彼らは自分たちに悔い改めなければならない罪などないと思う、放漫の罪を犯していました。神様が悲しまれるかたくなな心を持っているのに、彼らはそういう自分に気づいていないのです。

 

Ⅲ.「救いの第一歩、悔い改め」

 悔い改めは救いの第一歩です。自分には罪がある。あれもこれも罪だと認めるのです。ある牧師は、この悔い改めの深まり具合によって、救いの確信が揺らいだりすると教えます。ちょうど洋服のボタンをかける時、一つかけ間違っただけで、二つ目三つ目、最後のボタンまですべてがうまくいかなくなってしまいます。洋服もカッコよく見えないですよね。そして、最初からボタンをかけなおすことになるのですよね。

 悔い改めは、そのボタンの最初の一つ目と同じではないでしょうか。先の牧師は、悔い改めと救いの確信が与えられることには関係があると教えていました。ですから、悔い改めを通して、神様の恵みに対する私たちの理解をさらに深めていただけるのです。

 もし、あなたが罪を悔い改め、イエス様の十字架が私のためだったと信じるなら、(Ⅰヨハネ1:9)「神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」。私たちは信じていますが、あなたは信じますか。あなたにも信じてほしいのです。

勧め)「荒野の声」

 皆さんは罪の赦しを受けていますか。イエス様をお迎えする準備はできていますか。みことばが語られる時、それは救いの時なのです。あなたは罪から救われていますか。

 また、私たちの教会の活動、証の生活を通して、私たちも主の道をまっすぐにする働きに加わろうではないでしょうか。終末の兆しを感じる今、主の再臨に備える働きに私たちも加わろうではないでしょうか。