タイトル
1.テキスト 「Ⅱコリント人への手紙 5章5から20節」
2.タイトル 「聖書の約束、希望と使命」
3.中心聖句「Ⅱコリント人への手紙5章5節」
「私たちをこのことにかなう者としてくださった方は神です。神は、その保証として御霊を下さいました。」
4.本文「聖書の約束、希望と使命」
序) 見るところによってではなく、信仰によって歩む。
この地上の生活においては、私たちはいろいろな苦難の中に立たされています。しかしこの現在の苦難は、やがて永遠の栄光へと続いていくと聖書は約束しています。
しかし、今、そのような聖書の約束を忘れてしまいそうな中に、私たちは置かれているのではないでしょうか。または、聖書の約束など否定したくなるような暗く、つらい人生を歩まされている人もおられるかもしれません。
そのような私たちの信仰が揺さぶられるようなこの世界を生きる中、聖書から神様の約束が確かなこと、また豊かな祝福があること、そしてさらに神様は私たちを神様の使節として、お用いになられようとしていることを教えられたいと願います。
本論) 「聖書の約束、希望と使命」
(1) キリスト者の持つ希望とは何か。
①それは見えるところによらず、信仰によるのです。
クリスチャンの持つ希望とは何でしょうか。それについてパウロは大切なことを、このところで教えようとしています。それは次のみことばです。
(Ⅱコリント人への手紙 5章7節)
「私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。」
このみことばは、本日のテキスト、5章の前の4章のまとめの部分のみことばでもあります。
「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」
すなわち、この5章は4章の「みえないものに目を留める」ことの大切さが、私たちにもたらす神様の豊かな富と希望、そして使命を具体的に教えている箇所ともいえるのです。
② なぜなら、それは救いから始まる神様のご計画は、すべてが神様の恵みだからです。
なぜ、「見えないものに目を留める」のでしょうか。それは聖書の約束のほとんどが見えない神様のお働きによる祝福だからです。聖書にこのようにあります。
「私たちをこのことにかなう者としてくださった方は神です。神は、その保証として御霊を下さいました。」
ここで、日本語では普通に表現されていますが、「神です」の「神」は強調されています。それは私たちの救いのみわざを完成してくださるのは神様であり、結局、救いのみわざは神様のみわざにほかならないのです。そして神様は、御霊を「保証」(手付金の意味)として与えてくださることによって確かなものとしてくださったからです。これは私たちが教会の用語で「救い」や「聖化」、「教会の成長」を考えるうえで大切なことです。
③ その保証の賜物としての聖霊のゆえに、勇敢であり心強さをもっているのです。
その保証としての御霊様を信じるがゆえに、私たちは勇敢であり、心強さを持っているのです。聖書はこのように言っています。
「私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」
「そういうわけで、私たちはいつも心強いのです。ただし、私たちが肉体にいる間は、主から離れているということも知っています。」
この第二コリント人への手紙を記したパウロは、死にさえも恐れを全く抱いていませんでした。そして「私たちはいつも心強い」と言っているのです。ここで、彼が「いつも」と言っているのは、環境や気分がどうあろうと、保証の御霊のゆえに心強いというのです。
これが、私たちに与えられている聖書の約束、希望なのです。
①救われた私たちと教会の使命
では、救われた私たちと教会は、どのように生きるべきなのでしょうか。聖書は「神の使節」として生きなさいと教えています。
「私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。」
救われた私たちと教会は、「神の使節」として、キリストの代理として、神様との和解を、救いの福音を人々に宣べ伝える神様の使命を与えられているのです。
② 神様の使節としての私たちと教会に必要なもの
神様の使節として生きる私たちと教会に必要なものがあります。この個所では「キリストの愛」と「新しい人として人を見ること」です。
・ その1、キリストの愛
神様の使節にはキリストの愛が必要です。聖書にはこのようにあります。
「キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。」
その理由として、私たちの愛ではなく、伝道はキリストの愛が求められるのです。
「キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」
パウロがどうして神様と人とに自分をささげ尽くすことができたのでしょうか。それは、彼の行動の動機が、いつも彼に「迫ってくる」キリストの愛だったからでした。そのことを、パウロは他の箇所でこう述べています。
(ピリピ人への手紙1章21節)「私にとっては、生きることはキリスト」
パウロはキリストの愛に(取り囲)まれ、「迫」られ、キリストの愛に押し出されて、パウロの行動が起こってきているのです。この「キリストの愛」は、言うまでもなく、パウロがキリストを愛した愛のことではなく、キリストが彼のためにいのちを捨ててくださった十字架の贖罪の愛です。この愛をひしひしと感じた時、彼は人を救うこの愛の福音を、人々に宣べ伝えずにはいられなくなったのです。
神様の使節として生きる、第二のことは、新しい人として人を見ることです。それはうわべで人を見ないことです。そのことを聖書ではこのように言っています。
「ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。」
神様の使節として遣わされる私たちと教会は、この世の価値観、またうわべで人を判断することをやめましょう。この世における区別として、私たちは民族、社会的地位、富などが重要性を持っていることを知っています。しかしキリストに従う私たちにとって、福音を宣べ伝えるうえで、もはやそうした区別はほとんど意味を持たないのです。そうしたこの世の価値観から解放されましょう。
私たちに与えられた「聖書の約束、希望と使命」は聖霊様の働きの保証があるのです。
「私たちをこのことにかなう者としてくださった方は神です。神は、その保証として御霊を下さいました。」
聖書はこのように約束します。ですから、聖霊様に希望と使命は保証されているのです。
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