福音伝道教団所属 葛西福音キリスト教会 礼拝説教2021年1月10日
1.テキスト「ピリピ人への手紙1章12~18節
2.タイトル「災い転じて福となす神」
「その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。主がその手をささえておられるからだ。」
4.本文「災い転じて福となす神」
序)ピリピ教会の成り立ち
ピリピ教会はパウロのピリピでの七転び八起きのすえに建て上げられたようなものでした。そのピリピ教会は、パウロが第二回伝道旅行のおり、最初にヨーロッパへ主イエス・キリストの福音を宣べ伝えた時にできた教会です。ピリピの町はローマの植民地です。そして、ローマの退役軍人が多く住んでいました。そのため、ユダヤ人は少数しかいなかったそうです。またユダヤ教の会堂はなく、婦人たちがアンギテス川のほとりに祈り場をつくって礼拝していました。おそらく紀元52年頃であったと思われます。最初パウロの伝道によって、ルデヤとその家族が救われたものの、占いの霊につかれていた女奴隷からその占いの霊を押し出してやったことが契機となって、異教徒との最初の衝突が起こりました。そしてパウロたちは捕らえられ、投獄されますが、その後、神の力による不思議な大地震が起こり、そのことから看守一家が救われます。しかし、パウロたちは出獄後、ピリピの町から出て行かなければならなくなりました。まさに七転び八起きの伝道でしたね。いや、ピリピ教会は指導者パウロを失ったわけですから、七転び六起きですかね。最後、倒れたままですから。今、コロナの脅威が日本中に蔓延していて、さらに拡大する恐れがありますね。まさに日本中で七転び六起き、ここまで頑張って、苦しみに耐えて、涙をこらえてきた人々も店も会社も倒れようとしていますね。日本という国が倒れないと良いのですが。
テーマ) 「災い転じて福となす神」
しかし、本日の聖書の箇所は、信じる者には明けない夜はないと教えるのです。日本のことわざにある「災い転じて福となす」のごとくです。神を信じ、聖書のみことばに導きを祈り求める者は、聖霊の助けを得て、何度倒されても起き上がるのです。本日の中心聖句のごとくです。
(詩篇37篇24節)
「その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。主がその手をささえておられるからだ。」
そのごとくにです。
Ⅰ.「かえって福音を前進させる」
まず、自分自身に起こった災いが、「かえって福音を前進させる」と言います。
(ピリピ人への手紙1章12節)
「さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたいと思います。」
パウロに起こった投獄という事実が福音を前進させたというのです。どういうことでしょうか。
(ピリピ人への手紙1章14節)
「また兄弟たちの大多数は、私が投獄されたことにより、主にあって確信を与えられ、恐れることなく、ますます大胆に神のことばを語るようになりました。」
ピリピ教会の人々は「主にあって確信を与えられ」たというのです。それで「恐れことなく、ますます大胆に神のことばを語るように」なったというのです。キリストにある信仰の勇者が誕生したのです。皆さん、アーメンではないでしょうか。アーメンでなければ、私たちの明日はどうなるのでしょうか。
福音の宣教者の願いは、その人がいる時だけ人々が信仰に燃え、いなくなると火が消えたようになってしまうことではなく、むしろその人がいなくなった時にも、ひとり立ちしていけるようになることです。パウロが不在になり、投獄されても、人々はめげてしまわず、かえってそのことにより「主にあって確信を与えられ、恐れることなく、ますます大胆に神のことばを語るようになった」。これこそ「福音を前進させることになった」にほかならないのです。このことは、クリスチャンの生き方に関係しています。パウロの献身が、彼の回りにいた人々を励まし、信仰の確信と勇気とを与え、多くの人々に信仰の連鎖反応を起こしていったのです。ネット社会では影響力のある発信者を、風邪のインフルエンザを文字って、インフルエンサーと呼ぶそうですが。同じように、一人の人の献身を、神が用いて「福音を前進させることに」役立たせてくださるのです。
Ⅱ.「キリストが宣べ伝えられるとき、すべては変わるのです」
次にパウロは、伝道するクリスチャンと教会に問題や誤りがあっても、「キリストが宣べ伝えられている」ならば、多くの人々によって福音となると喜んでいます。
(ピリピ人への手紙1章18節)
「見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。」
地上のクリスチャンと教会は完全ではありません。ですから、その伝道には不純な動機が入り込むことがあります。
「人々の中にはねたみや争いをもってキリストを宣べ伝える者もいます」
(ピリピ人への手紙1章17節)
「純真な動機からではなく、党派心をもって、キリストを宣べ伝えており」
パウロは教会内に問題の人物がいたことを指摘しています。彼らはみな福音宣教に熱心でしたが、問題の人物は、「善意」や「愛」や「純真な動機からではなく」、「ねたみや争いをもって」、また「党派心をもって、キリストを宣べ伝えて」いたのでした。しかし、キリストのからだである教会は、外からの苦しみがどんなに激しくても、内部に一致があれば、それに耐え、乗り切っていくことは、決して不可能ではありません。ところが、内部の足並みが乱れており、中にはパウロを苦しめようとする者がいるに至っては、試練は最大だと言わなければならない。問題の人物は、成人している信者ではなく、未成熟な人です。このような人が福音宣教をするとき、神の栄光を現すどころか、人を傷つけてしまうのです。そのような伝道をパウロは「党派心」からの伝道と言います。しかし、パウロには喜びがあるというのです。なぜでしょうか?
それは聖書のことばは真実であり、キリストの十字架こそ神の力だからです。ですから、私たちがいかにあるかという生活よりも、私たちが何を信じるかという信仰の内容のほうが重要となります。信仰があって生活が生まれるのです。その逆はありません。福音の内容が正しく「キリスト」であるならば、人は救われるのです。だからパウロには苦しみであることが、「災い転じて福となす神」により喜びとなるとの確信があったのです。
お祈り(勧め)
1. まだ、神を信じておられない方にお勧めします。人生には悲しみと苦しみ、痛みが必ず訪れます。今まさに、コロナでそのような状況に置かれている方もいらっしゃるでしょう。しかし聖書は「災い転じて福となす神」がいることを証します。もし、あなたがイエスの十字架を信じるなら、あなたの人生は神に支えられる人生になるのです。(詩篇37篇24節)「その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。主がその手をささえておられるからだ。」なのです。
2.また、伝道で苦労しているクリスチャンと教会には、絶えず神の励ましと神の力が働くのです。それは福音を伝え続ける希望があるからです。「キリストが宣べ伝えられている」なら失敗にも希望はあるのです。(詩篇37篇24節)「その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。主がその手をささえておられるからだ。」なのです。これからもいろいろなことがあるでしょうが、めげずに、神を信じて伝道に励みましょう。
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