新約聖書から神の愛をあなたへ

福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

神の恵みと謙遜

葛西説教2021年1月3日礼拝説教

1.テキスト「ピリピ人への手紙2章12から18節」

2.タイトル「神の恵みと謙遜」

3.中心聖句ピリピ人への手紙2章13節」

神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」

4.本文「神の恵みと謙遜」

 ) 「一年の計は元旦にあり」

  日本にはこのようなことわざがあります。「一年の計は元旦にあり」と。このことわざの直接の意味は、一年の計画は年の初めの元旦に計画を立てるべきだというものです。そのことから転じて、物事を成功させるためには、初めにしっかり計画を立てる大切さを教えることわざとしても知られています。ですから、私たちも、この新年の礼拝で、神のみ前に歩む2021年のため、神のおことばを受け取りましょう。

 

テーマ) 「神の恵みと謙遜」

Ⅰ.「神の恵み」

パウロは12節で、「自分の救いの達成に努めなさい」と私たちにチャレンジを与えます。しかし、このパウロの勧めを、皆様はいかにお聞きになられるでしょうか。「努める」とあるので、人間的な努力で頑張ってすばらしいクリスチャンになることだと、私なんかは連想しますが。それは大きな間違いですね。よく知られている話ですが、救いの三つの面です。第一の面は、神が救いのみわざを始められる瞬間です。人は、だれひとりそのみわざに参加することは許されない面ですね。霊的に死んでいた人は、自分の新生に参加して働くことはできず、ただその救いの恵みにあずかるだけです。第二の面は、神の救いの働きの継続として、クリスチャン自身が神の聖化のみわざに参加することです。そのとき、私たちの「うちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる」のは神であって、私たちは神とともに働くのです。その聖化は、救いの完成、または達成という救いの第三の面、栄化に向かっています。何か自力で救いが達成できるのかのような錯覚に陥りがちな私たちは、聖書を注意深く読まなければいけませんね。私たちの救い、聖化、栄化は、本日の中心聖句の通りですね。

 

(ピリピ人への手紙2章13)

「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」

 

Ⅱ.「謙遜」

 「一年の計は元旦にあり」ではないですが、私たちや教会、社会でも何か行動を起こそうとする願いを持つものですね。そのとき、本日開かれた聖書の箇所がよく教会の会堂建築や神学校建設の際に引用されることが多いと聞きます。クリスチャンは常に神のお心に耳を傾ける者ですからね。

それに対して、神を信じておられない人の場合、信頼する人、また親、先輩など、その道に詳しい知人に意見を求めるでしょう。そのような周囲の意見を伺い、慎重に検討して決断する、そのようなものですよね。

では、クリスチャンの私たちは、どのように物事の計画を立てて、実行を決断するのでしょうか。クリスチャンは他人の意見を聞くことを禁じられているわけではありません。 しかし、第一に私たちを正しく導くみことばから神のお心を伺います。そのことを教えるのが、本日の聖書のみことばです。

 

(ピリピ人への手紙2章13節)

「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」

 

ですから、まず神のお心を伺うのです。そのためにはまず祈ることでしょう。そして聖書を開き、みことばを読み、物事の計画を立てるにあたり、みことばをいただくことを大切にしましょう。

しかし、この時、注意すべきことがあります。それは神のお心を伺うことより、私たち人間側の願いや思いが、強すぎる場合です。そのときには、私たちの心の耳は、神の声に閉じている場合が多いのです。そして私たちの祈りは、私たちから神様への願いの一方通行となり、祈りが神との交わりとはなりません。そして聖書を開いても、私たちの願いに反するみことばに触れた時は、読み飛ばします。そして願いに合うみことばを見つけ出し、それを神からの答えだと間違った確信を思い込みます。そうなると私たちの暴走が始まります。

ですから、先のみ言葉を理解するためには、直前の12節で教えられている「いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。」との教えが大切なのです。私たちが学ぶべき従順について聖書はこのように教えます。

 

(ヘブル人への手紙58-9節)

「キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、

完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり」

 

ですから、私たちと私たちの教会が、神のお心にかなう願いと計画を持ち、これからの一年を神の前に喜ばれる歩みのために何が大切なのでしょうか。それはキリストの従順を学び、キリストに従順なクリスチャンであり、教会でありましょう。そのような従順なクリスチャンと教会に神は願いを起こさせ、実現に至らせてくださるのです。今年の年末、私たちのくちびると教会に神への感謝と賛美が尽きない日が訪れていると信じましょう。どうか、本日の説教が皆様にアーメンであれば、必ずハレルヤ!と神の栄光が皆様とご家族と教会に訪れることを信じましょう。

 

祈り)すすめ

①ですから、まだ神を信じておられない方のためにお祈りいたします。どうか、イエス・キリストの十字架を自分のためであったと信じてください。信じるならあなたの罪は赦され、天国の切符はあなたのものとなります。そして神とともに歩む、神の守りと祝福に満ちた新しい人生が始まります。

 

②次に、イエスを信じ、新しい人として歩んでおられるクリスチャンの皆様。この一年「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」どうか、この「あなたがた」のところにご自分の名前を入れて読み上げてください。そしてキリストの十字架に向かう従順な歩みに学んでください。そしてキリストに従順なクリスチャンになってください。私たちの教会がキリストに従順な群れとなるなら、この一年、神の栄光が私たちの教会に輝くことでしょう。