新約聖書から神の愛をあなたへ

福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

「神の国の到来、クリスマス」

「神の国の到来、クリスマス」

 序)「バベルの塔事件」

  クリスマスは、イエス・キリストの降誕において、神の国が到来したことを全世界に示すものです。それは、旧約聖書に記されているメソポタミアでのバベルの塔事件との対比が思い出されます。このバベルの塔事件で罪のゆえに地の全面に散らされた人々が、新約聖書が証言するイエスの十字架における預言成就により、罪のゆえに散らされた人々が、恵みにより神のもとに再び集められる終末の恵みへとつながると言われています。聖書は言います。

 

(ヘブル人への手紙926)

「キリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。」

 

  まさに、このクリスマスはイエス・キリストの降誕による神の国の到来と、罪のゆえに散らされた人々をイエスの十字架を通して、神の国に集める宣言となるのです。ですから、地上の教会で神に仕える私たちは、このクリスマスを多くの人々に喜びの知らせとして伝え、共に喜び祝いましょう。

 

テーマ) 「神の国の到来、クリスマス」

Ⅰ.神の国の到来は喜ばれなかった

  この神の国の到来の知らせを聞いた人々の反応はどのようなものだったでしょうか。その様子について聖書にはこのように記されています。

 

(マタイの福音書21から3)

『イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。』

 

ヘロデ王も治められていたエルサレムのユダヤの人々も喜ぶどころか、恐れたのです。

 

Ⅱ.なぜ、喜ばれなかったのでしょうか。

   ①ヘロデ王の恐れ

  それはこの場合、ヘロデ王にとっては、単なる新たなライバルとなる王の出現というよりも、当時、ローマの属州となっていたユダヤの国を、解放するメシヤの出現であったからです。その証拠に、博士たちが2節で「ユダヤ人の王」と尋ねたのに対し、ヘロデは4節で「キリスト」と言い、旧約聖書の預言で約束されているメシヤだと理解していたようです。それで王なるメシヤ出現で、ユダヤ人たちによるクーデターを恐れたと考えられています。

  

  ②エルサレムの人々の恐れ

エルサレムの人々は、このようなクーデターを未然に防ぐために、ヘロデ王が残忍な処置をとることにおびえたのでした。ヘロデは、「大王」と呼ばれていたことからもわかるように、すぐれた政治家でした。そのため宗主国ローマの信任も厚く、紀元前4年に没するまで、その地位にとどまることができました。その政治活動は、パレスチナに平和と秩序をもたらし、エルサレム神殿再建の着手、飢きんの難民援助などそつなくこなしました。しかし、猜疑心の強い王でもあり、王位を脅すかと思うと、近親者でも処刑しました。有名な話として、ローマ皇帝アウグストが「ヘロデの息子であるよりはヘロデの豚である方が安全だ」と伝わっています。また、その死の直前には、エルサレムの著名人たちを背任罪のかどで投獄し、自分が死ぬと同時に全員を処刑するように命じました。このようなことで、ヘロデは人々の恐れの的でもあったのです。

 

Ⅲ.正しいクリスマスの過ごし方とは

  では、正しいクリスマスの過ごし方とはどのようなものなのでしょうか。また、イエスの十字架がもたらしてくださった神の国に入るには、どのようにすればよいのでしょうか。それは東方の博士たちと私たちも同じようにすることなのです。

 

  ①教会の礼拝や集会に出席し、イエスを礼拝しましょう。

 (マタイの福音書22)

「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」

 

まず、先週の羊飼いたちと同じように、救い主イエスを礼拝し、その恵みを求めることです。

 

 ②聖書に導きを求めましょう。

(マタイの福音書25)

「彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。」

 

  次に、教会や礼拝で大切なことは、聖書の導きを求めつつ通うことです。聖書の導きや教えを大切にして、正しい信仰を培いましょう。教会では神につまずくよりも、人につまずいて教会を去る人が多いと聞きます。ですから、教会では聖書の導きと教えを第一に求めましょう。

 

 ③その聖書の導きを喜ぶことです。

(マタイの福音書210)「その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。」

 

  おそらく聖書を学ぶうちに、自分の考えなどが聖書の教えとぶつかることもあるかもしれません。そのような時、私たちもこの東方の博士たちのように神の導きに喜んで従いたいと祈りましょう。

 

 ④礼拝とは私たちを神に献げることです。

(マタイの福音書211)

「そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。」

 

この博士たちの幼子イエスに対する礼拝の態度には、謙遜と献身の思いがあふれていました。私たちも同じような礼拝を教会や集会で献げましょう。

 

祈り「神の国の到来、クリスマス」

① まだ、イエスを信じておられない方のために祈ります。このクリスマスは神の国の到来なのです。天国の扉が罪びとに解放されるしるしなのです。どうか、そのことをクリスマスのパーティー的な雰囲気を楽しむ他にも知っていただきたい。そして、このクリスマスにお生まれなさったイエスを、ご自分の救い主と信じて、本当のクリスマスの意味を味わってください。

 

② そして、すでにイエスをご自分の救い主として信じておられるクリスチャンの皆様、このクリスマスは神の国の到来なのです。ヘロデ王やエルサレムの人々はローマの支配に甘んじるがゆえに、クリスマスの福音を、イエスの誕生を喜び受け入れることができませんでした。彼らは正義や愛よりも、ローマの力による支配、それへの服従と不正に目をつぶることでのその場限りの利益に満足していました。しかし、クリスマスは神の国の到来なのです。イエスの誕生は私たちに真の愛と正義が到来する新しい生き方を約束するものなのです。そのことを踏まえて、クリスマスを祝いましょう。そしてそのことを誰かに伝えましょう。