葛西説教20220911②
1.テキスト「マタイ6:5-15」
2.タイトル「祈りとは」
3.中心聖句「マタイ6:33」
「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」
4.本文「祈りとは」
序)「祈りとは神様との会話」
祈りって何でしょうか。私たちの祈りは、願いが多くなりがちですが、本来祈りとは神様との会話です。なぜなら、8節に、あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるとあるからです。ですから、私たちが家族に子どもに、友人に話をするように祈りを通じて神様と会話することです。会話ですから、私たちの願いを神様に伝えつつ、神様のみこころに聞きつつ従いつつあるのが祈りと言えるのですね。そういう意味でいうと礼拝もデボーションも広い意味で祈りと言えるのでしょう。
あるとき、イエス様の祈られる姿を見ていた弟子の一人が、「私たちにも祈ることを教えてください」と願いました。そこでイエス様がこのように祈りなさいと教えられたのが主の祈りです。今日は主の祈りについて教えられましょう。祈りとは神様との会話だと言いましたが、主の祈りには神様に対する呼びかけと、神様のための祈り、そして私たちのための祈りがあります。そしてその関係は、本日の中心聖句「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」と深い関係があるのです。
Ⅰ.「神様への呼びかけ」
まず、主の祈りの第一は、神様への呼びかけで始まります。
「天にいます私たちの父よ」、これは神様が天におられ、すべてのことを知っておられること。また私たちの肉親の親以上に近く、愛と信頼すべきお方なのだということです。
Ⅱ.「神様のための祈り」
(1)「御名のために」
まず、神様の名前がほめたたえられるようにということです。先に言いましたように、私たちからの「神様何々してください」の前に、まず神様のみこころのための祈りから始まるのです。だから神様がほめたたえられるために祈るのです。この「あがめる」は、聖なるものとして他のものから区別して扱う意味があり、祈る私たちが全生活において神様を聖別する実践を迫られていることを忘れては、祈る意味がないのです。
(2)「御国が来ますように」
次に、御国です。御国とは神様が王として治められる所です。神の国とも聖書では言われています。誤解のないように整理しますが、イエス様は「神の国は、あなたがたのただ中にあるのです」(ルカ17:21)と、イエス様を信じる人の心の中に「今」来るものであることを示されました。これが私たちの救いです。が同時に終末的出来事としての再臨としても教えられました。ここでは、終末的出来事としての「再臨」が祈られています。
(3)「みこころのために」
みこころとは神様のお考えのことです。神様のお考えが天だけでなく、地、すなわち私たちの毎日の生活の中でも実現しますように、という祈りです。ですから、祈る私たち自身の、神様のみ旨に服従する決意を表わした信仰告白の祈りでもあります。
ここまで主の祈りを読み解いてきましたが、ある敬虔なクリスチャンの「私の生活に対する意味を考える時、私はこの祈りを祈ることに恐れを覚える」とのことばが本で紹介されていました。私自身も深くうなずかざるを得ません。主の祈りは私たちの信仰告白と実践がなければ祈っていないのと同じだということです。ですから、イエス様が教えられた祈りの結論「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:33)ということと主の祈りは深い関係があるのです。
Ⅲ.「私たちのための祈り」
(1)「私たちの日ごとの糧のため」
私たちは毎日当たり前のように、食事をいただいています。でも、それは当たり前ではなく、神様が私たちのために備えて与えてくださっているものなのです。神様は私たちの肉体の必要にも配慮されるお方です。さらにこの祈りは、「私の」ではなく「私たちの」となっています。ですから、自分だけが足りればよいという、自己中心の祈りではなく、神の家族が、また世界の人々が皆、神様に養われ、支えられ、神様のために生きるためにも祈られなければならないのです。
(2)「私たちの負いめのため」
負いめとは「罪」のことです。これは神様の前に立たされた自己の姿を知った者の祈りです。これは私たちの救いの理由や根拠を言っているのではなく、この赦す心なくしては、自分の罪の赦しを求めて神の前に出ることはできないからです。イエス様もたとえ話の中で「私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。」(マタイ18:33)と教えられました。
(3)「私たちの試みのために」
試みとは、試練や誘惑、サタンからの攻撃のことです。世の悪に囲まれて生きるクリスチャンが絶えず祈らなければならない祈りです。私たちは、人生の様々な試練が霊的誘惑の機会とならないよう、私たちに必要な力を与えくださいと神様に祈らなければならないのです。
5.「勧め」
本日は「祈りとは」と題して、主の祈りを私たちは学びました。どうか、主の祈りを、私たちの心からの祈りとして、毎日祈る者とさせていただきましょう。
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