新約聖書から神の愛をあなたへ

福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

「愉しい教会を目指して」

葛西福音キリスト教会 聖書のお話し2021131

1.テキスト「ピリピ人への手紙21~4節」

2.中心聖句「ピリピ人への手紙42節」

                 「あなたがたは、主にあって一致してください。」

3.タイトル「愉しい教会を目指して」

4.本文「愉しい教会を目指して」

 )「愉しい手術」

先日NHKの番組「忘れられない患者 スーパードクター 心の交流」を拝見しました。その番組で、難しく悲しい場面も避けられない手術を愉しむ大切さが語られていました。その医師とは、医者人生38年間で7000人の子どもを救った、小児心臓血管外科の名医と呼ばれる榊原記念病院副院長の高橋幸宏(ゆきひろ)医師です。

高橋医師は、愉しい手術を目指されています。愉しくするための工夫を考えると、広がりがあると言われます。愉しくするためにはどのように工夫をするのか、そのような考えた方で愉しく子どもを助けてあげようとすれば、私たちが何をすればよいのかは決まってくると語られました。

私は高橋医師の話を聞いて、2021年度の葛西福音キリスト教会も「愉しい」をテーマにしたいと願っています。「愉しい教会」「愉しい伝道」を目指したいと。

また、高橋医師は一人のスーパードクターがいても、天才的な外科医がいるだけでは心臓外科医はだめだと。医師も助手も麻酔医も看護師も、一人一人の能力のチームワークが高橋医師の「愉しい」手術を支えていると。そして「愉しい」手術のために入れ込まない感覚を作ることも教えられました。入れ込むとは、何でもかんでも百点満点を目指す気持だということです。

ですから私たちの教会の2021年度は「愉しい」教会を目指し、「チームワーク」と「入れ込まない」ことを大切にしましょう。では、聖書の語りかけに耳を傾けてみましょう。

 

本日のテーマ「愉しい教会を目指して」

1.「愉しい教会にはチームワークが大切」

  まず、教会のチームワークの大切さを教えられましょう。

人間のいる所ではどこにでも問題が起こります。それは私たち、人間が罪を持っているからです。クリスチャンは罪が赦されたとは言いながらも、まだ罪の可能性を持っています。それでクリスチャンの集まりである教会にも問題が起こります。聖書には「ねたみや争い」をもってキリストを宣べ伝えたり、獄中のパウロを「さらに苦しめるつもり」で「党派心」をもってキリストを宣べ伝えたとあります。このことをピリピ教会の兄弟姉妹に知らせているのは、ピリピ教会にも同じことがあるからでしょう。聖書はこのように語りかけています。

(ピリピ人への手紙42)

「ユウオデヤに勧め、スントケに勧めます。あなたがたは、主にあって一致してください。」

 

  では、どのようにして「主にあって一致」することができるのでしょうか。聖書は語ります。
(
ピリピ人への手紙2章1節)

「こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、

愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、」

 

  聖書はここで、神の愛による一致を教えています。私たちが目を注ぐべきは、キリストの教会に対する愛による励ましです。クリスチャンは「キリストにある慰め、愛の励まし、御霊の交わり、思いやりとあわれみ」をお持ちのはずです。それはクリスチャンが、この世の者ではなく、キリストにあって真の慰めを得ている者たちだからです。キリストにあって真の慰めを得ているクリスチャンは、キリストが持っておられる愛によって、心から人々を励ます真実さを持っているはずです。また、クリスチャンはキリストの御霊をうちに宿す者としての恵みをお互いに分かち合えるはずです。そればかりか、お互いへの思いやりやあわれみを持っている、まさに一つのキリストのからだとさせられた者たちです。それで聖書は、クリスチャンにさらに語りかけています。

(ピリピ人への手紙22)

「私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、

心を合わせ、志を一つにしてください。」

 

  不一致があったと思われるピリピ教会の兄弟姉妹に愛による一致を熱心に語りかけています。キリストの十字架に現わされた神の愛を信じ、そして神の愛に生きるクリスチャンの、神の愛による一致を熱心に求めようではありませんか。そこにこそ、愉しい教会のための神の愛によるチームワークが生まれるのですから。

 

Ⅱ.「愉しい教会のチームワークのために」 

  では次に愉しい教会のチームワークに必要なことを、聖書はどのように私たちに語りかけているのでしょうか。

(ピリピ人への手紙2章3-4)

「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、

互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。

自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。」

 

  そのためには愛による一致の敵である「党派心」や「虚栄」を避けるようにと勧めます。「党派心」の意味は「自己中心」でもあります。この「党派心」(自己中心)や「虚栄」が教会の一致と平和を乱す二つの病原菌です。私たちひとりひとりが自分の意見や考えに頑強に固執するときに争いが起こります。そのようなクリスチャンを、聖書は御霊に属さない、肉に属しているクリスチャンと呼びます

(Ⅰコリント人への手紙33)

「あなたがたは、まだ肉に属しているからです。

あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、

あなたがたは肉に属しているのではありませんか。

そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。」

 

  私たちは御霊に属する、御霊に満たされるクリスチャンではありませんか。ですから、私たちは自分自身を低くする、へりくだりを大切にし、他の人々のためには自分の権利をも放棄する思いを持ち、つまらないことでいきり立ったりしないようにしましょう。私たちを放漫な者、他人を見下す者とする誘惑、罪の力に信仰で打ち勝ちましょう。そして他の人たちを「自分よりもすぐれたものと思」いましょう。例え私たちが、他の人たちが自分と同じ高さに立つとき、それを忍ぶことができない利己的自我の持ち主であったとしても、神を信じる私たちは、神の愛に生きる人に変えられ、キリストのからだなる教会となるのですから。

 

祈り(勧め) 「愉しい教会を目指して」

(ピリピ人への手紙42)

                    「あなたがたは、主にあって一致してください。」

 

.まだ、イエスを信じておられない方へ。皆さんの人間関係に愛と安らぎはありますか。イエスを信じておられない、すべての生まれながらの人間は、罪びとだと聖書は教えます。罪びとの集まりには愛と安らぎはありません。互いに奪い合い、傷つけ合う人間関係があるだけです。しかし、イエスの十字架を私のためだと信じるなら、神の愛があなたの人間関係を救うのです。それは神の愛があなたに注がれ、その愛は周囲の人間関係を癒すからです。

 

 

2.すでにイエスの十字架を信じておられるクリスチャンの皆様へ。私たちは2021年度、「愉しい教会」を目指しましょう。そのために、聖書が語る「主にあって一致」しましょう。主の愛を信じる私たちには主の愛が豊かに注がれるのです。その愛に生きるとき、私たちは「愉しい教会」となれるのです。