葛西福音キリスト教会 聖書のお話し 2020年 6月 7日
中心聖句 「ルカの福音書23章32節」
「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
テーマ 「弱い自分に気づいたら、主にすがれ!」
今日の聖書のお話は、神様から選ばれ「使徒」と呼ばれるペテロの大失敗の話です。聖書は私たちに強く勧めています。「弱い自分に気づいたら、主(イエス様)にすがれ!」と。どうか、皆様には、一度お近くの福音的な教会で聖書を中心にしてお話していただければと願います。
1.最後の晩餐の席での、ユダの裏切り、そしてイエス様の別れのことば。
イエス様は十字架を前にして、最後の晩餐の席で弟子たちに大切な教えを語られていました。そして、イスカリオテのユダの裏切りが現実となる時、イエス様は弟子たちとの別れのことばを切り出します。
「子どもたちよ。わたしはいましばらくの間、あなたがたといっしょにいます。あなたがたはわたしを捜すでしょう。そして、『わたしが行く所へは、あなたがたは来ることができない』とわたしがユダヤ人たちに言ったように、今はあなたがたにも言うのです。」
このことばは、イエス様がイスカリオテのユダが裏切りのために二階の広間で行われていた「最後の晩餐」の席を外して、出て行くのを黙って見送られた後で、語られました。
それは、十字架という苦しみを通してイエス様ご自身の栄光と、父なる神様の愛が私たち、罪びとに示されることが決定的になる時でした。聖書にはこのようにあります。
(ヨハネの福音書13章31節)
「ユダが出て行ったとき、イエスは言われた。「今こそ人の子は栄光を受けました。また、神は人の子によって栄光をお受けになりました。」
ですから、これから起こるイエス様の十字架と弟子たちとの別れは、悲しみと苦悩の始まりではなく、喜びと希望の始まりに過ぎないのです。
しかも、先の13章33節のことばは「私がユダヤ人に行ったように」とありますが、ユダヤ人に言われた時のことばとは、少し異なります。ユダヤ人にはこのように言われました
(ヨハネの福音書7章34節)
「あなたがたはわたしを捜すが、見つからないでしょう。また、わたしがいる所に、あなたがたは来ることができません。」
「子供たちよ」とやさしく語り掛けられたイエス様の弟子たちへのことばには、「見つからないでしょう」ということばが省かれています。それは、今すぐには弟子たちが、天の御国には行くことはできません。イエス様が行かれる場所に到達するためには、誰でも「死」を通過しなければならないからです。しかし。すべてのイエス様を信じる人はイエス様が行かれた同じ目的地に到達することが約束されています。また、天に帰られたイエス様が遣わされる御霊が信じる弟子たちと共にいてくださるからです。イエス様はご自身を信じ、そしてすがる者を決してお捨てにはなりません。聖書にはこのようにあります。
(ヨハネの福音書14章18節)「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。」
2.しかし、使徒のペテロは、イエス様のことばを理解できません。
その時のペテロとイエス様のかみ合わない会話が、聖書にはこのようにあります。
(ヨハネの福音書13章)
(36節)『シモン・ペテロがイエスに言った。「主よ。どこにおいでになるのですか。」イエスは答えられた。
「わたしが行く所に、あなたは今はついて来ることができません。しかし後にはついて来ます。」』
(37節)『ペテロはイエスに言った。「主よ。なぜ今はあなたについて行くことができないのですか。
あなたのためにはいのちも捨てます。」』
(38節)『イエスは答えられた。「わたしのためにはいのちも捨てる、と言うのですか。まことに、まことに、
あなたに告げます。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」』
イエス様はご自分が去っていくことを語られました。しかしペテロは、そのことがイエス様の「死」を意味するとは考えませんでした。ペテロは、イエス様が行かれる場所を地上的にしか考えていませんでした。イエス様が行かれる場所に到達するためには、誰でも「死」を通過しなければなりません。やがてペテロも、イエス様が預言されたように殉教の道を経て、イエス様が行かれた同じ目的地に到達するようになります。
しかも、彼は、軽々しく、「あなたのためにはいのちも捨てます。」(37節)と宣言します。切迫した空気の中でイエス様の死を予感したペテロは、自分には殉教の覚悟があると誇示しましたが、まだまだ殉教の覚悟などできていませんでした。その彼のイエス様のおことばよりも自分の思いや考えを大事にする姿をイエス様は見つめられて、「わたしのためにはいのちも捨てる、と言うのですか。まことに、まことに、あなたに告げます。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」(38節)とペテロに言われたのです。そして、イエス様のお言葉通りになりました。イスカリオテのユダの裏切りは有名ですが、ペテロの大失敗も有名ですね。その時のことを聖書はこのように記しています。
(ルカの福音書22章61節)
『主が振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う」と言われた主のおことばを思い出した。』
聖書がこのように使徒と呼ばれるペテロの大失敗を記しているのは、今、聖書を読む私たちも同じ失敗をする弱い人間なのだと教えるためなのです。私たちは弱く、そしてずるい部分があるのです。どうすればよいのでしょうか。特に、クリスチャンになったばかりの方、また教会に通いだした方は聖書の教えの前に、自分という者の弱さに向き合うことも多いかもしれません。
3.しかし、聖書は「弱い自分に気づいたら、主にすがれ!」と勧めるために記されたのです。
先の、『主が振り向いてペテロを見つめられた』、その主のまなざしはどのようなものだったのでしょうか。それはペテロを責めるまなざしではなく、ペテロを憐れむまなざしであったと思います。なぜなら、先のペテロの大胆な殉教宣言のところは、聖書の別な箇所にこのように記されているからです。
(31節)「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。」
(32節)「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
(33節)『シモンはイエスに言った。「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」』
(34節)『しかし、イエスは言われた。「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」』
イエス様はペテロの大失敗も予知されていました。その予知のうえで、弱いペテロの信仰がなくならないように、そして、弱い自分に気づき、主に全くすがるペテロとして、周りの主の兄弟たち、そして世の中の人々を福音で力づける働きを命じられました。聖書にはこのようにあります。
『イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。」』
ペテロは「主の羊の群れ」を牧する務めを委ねられるようになります。
ですから、もしあなたが、「弱い自分に気づいたら」、「主にすがれ!」と私は皆様にお勧めします。それはわたしという人間が勧めているのではなく、聖書がそのように私たちに語り掛けているからです。
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