新約聖書から神の愛をあなたへ

福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

「幸福への地図、聖書」

葛西福音キリスト教会 聖書のお話し202166()

1.テキスト「第二テモテ3:1517

2.タイトル「幸福への地図、聖書」

3.中心聖句(第二テモテ3:15)

聖書はあなたに知恵を与えて

キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです

4.本文「幸福への地図、聖書」

)「なぜ、聖書なのか」

先週は、聖書から「幸せの条件」というメッセージに耳を傾けていただきました。本日は、その「幸せの条件」と聖書の関係といいますか、なぜ、「幸せへの地図」は聖書なのかを知っていただきたいと願っています。聖書には、歴史、哲学、文学、道徳といった要素もありますが、それだけではないのです。本日のタイトルのように、聖書は幸せへの地図なのです。その理由は、聖書は神様から私たち人間へ送られたラブレターだからなのです。アメリカのリンカーン大統領も「聖書は神が人間に贈った、最もすばらしいプレゼントである。人間の幸福にとって望ましいものは、すべて聖書の中に含まれている」と言ったと伝えられています。

それでは、聖書を開きながら、幸福への地図、聖書について考えてみましょう。

 

テーマ) 「幸福への地図、聖書」

新しい土地を尋ねるとき、なくてはならないものは地図です。そしてあなたが本当の幸福を見いだすために、なくてはならない地図、それが聖書です。

 

①聖書は何のために書かれたのでしょうか。

聖書の目的について、このように聖書に記されています。

 

(ヨハネ20:31)

「しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。」

 

「これらのことが書かれたのは」と、この個所に聖書が書かれた目的が教えられています。

すなわち、聖書が書かれた目的とは、イエスが神の子キリストであることを、私たち人間が信じ、そしてイエスの御名によって永遠のいのちを得るためなのですと説明されています。

先週の説教で、人間には死ぬことと、死んだ後にさばきを受けることが神によって定められているとお話ししました。しかし、イエスを信じるなら、罪赦され、肉体の死の先の世界を神とともに生きることができるのです。

 

②聖書は私たちに何を与えるのでしょうか。

  では次に、聖書は私たちに何を与えてくれるのでしょうか。言いかえるならば、聖書は私たちをどのように変えてくれるのでしょうか。

 

(Ⅱテモテ3:15)

「また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。」

 

ここで、はっきりと「聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです」と教えられています。すなわち聖書は私たちに知恵と、神に対する信仰、そしてその信仰による救いを受けさせることができるのです。聖書のみことばには私たちの自己中心な心、乱暴な心、かたくなな心をも変えて、イエスを信じることができるとはっきりと教えています。

 

③聖書の真の著者は誰でしょうか。

  なぜ、聖書を学ぶとき、私たちは神を信じる信仰を得ることができるのでしょうか。それは聖書の著者が神ご自身だからです。

 

(Ⅱテモテ3:16)

「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」

 

聖書は単に、イスラエル民族の宗教について、人間が記した書物ではないのです。確かに、直接筆をとるのは人間であっても、その人間を通して語られているのは神なのです。そのことを聖書の中では「霊感」といいます。その「霊感」によって、神はご自身の救いの道をまちがいなく伝えるために必要なあらゆる保護を、聖書を記す人間に与えられました。

そしてそれは、聖書が記されたときだけではなく、聖書を読む時、読むあなたにも働かれるのです。「神の霊感」と日本語に訳されたことばは、もとの聖書の直訳では、「神のいぶき」です。

 

(創世紀2:7)

「神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった」

 

すなわち、旧約聖書が記す世界創生の時、人間が神のいぶきにより生ける者となったように、聖書は神の霊感を受けて、今あなたに働かれるのです。そしてあなたをイエス・キリストの十字架の恵みにより罪の赦しと永遠のいのちに生きる者と変えてくださるのです。

 

④聖書は私たちにとって何でしょうか。

  最後に質問です。結局、私たちにとって聖書とは何なのでしょうか。

 

(詩篇119:105)「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」

 

  このみ言葉が本日の聖書のお話しの結論です。私たち人間が聖書を学ぶとき、それはキリスト教という宗教への興味と関心を満たすことのみにとどまらず、私たちの行動と生活に変化をもたらすものなのです。すなわち、神の霊感で記された聖書は私たちをイエスの十字架への信仰に導き、そして私たちの人生を良い方向に変えるのです。まさに聖書は「私の足のともしび、私の道の光です」なのです。ですから、幸福への地図、聖書となるのです。

 

勧め) 「幸福への地図、聖書」

(第二テモテ3:15)「聖書はあなたに知恵を与えて

キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです」

 

 

  聖書は私たちにとって、幸福への地図なのです。ですから、私たちはテモテのように、聖書に親しみましょう。それは礼拝の時のみならず、日々の生活の中での家庭礼拝や個人的なデボーションを通しても親しみましょう。そうするならば、神の霊感により記された聖書は、イエスへの信仰を通して、あなたの人生を幸いへと導くこととなるでしょう。