新約聖書から神様の愛をあなたへ

福音伝道教団

葛西福音キリスト教会


「前を向いて進もう!」

1.テキスト「ルカ9:5162

2.タイトル「前を向いて進もう!」

3.中心聖句「ルカ9:62

「だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません」

4.本文「前を向いて進もう!」

)「十字架に向かうイエスに学ぶ」

2022年度、教会年間のみことばは「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです」(ピリピ2:13)です。4月からの新年度に向け、その備えとなる聖書個所を幾つか開くと、先週お話ししました。その序論的な聖書個所として、知恵無き者に知恵を与えるみことば「主を恐れることは知識の初めである」(箴言1:7)を開きました。そして神への畏敬こそ、神の祝福を得る道とお互いに知りました。

 では、その神への畏敬の道を完全に歩んだ一人の男について学びましょう。その男について聖書が記す、十字架の死に至るまでにも従順に従われた、イエスの生涯から学んでまいりましょう。本日は神のみこころを知る、イエスの「前を向いて進む」、そのお姿から学びましょう。

 

本論) 「前を向いて進もう!」

Ⅰ.「イエスは前を向いて進まれた」

 イエスのエルサレムへの道は、すなわち十字架への道でした。それは単なる巡礼の地エルサレムへの宗教的旅行ではなかったのです。そのイエスの心中の決意を、聖書はこのように記します。

「さて、天に上げられる日が近づいて来たころ、イエスは、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられ」(ルカ9:51)と。

 イエスの覚悟、十字架への道、それは「天に上げられる日」でした。そのイエスのただひたすらに、神のみこころへの「前を向いて進む」思いが、「御顔をまっすぐ向けられ」るお姿として、弟子たちにもはっきりとわかる態度として示されたのでした。

 イエスはその地上での生涯の終わりにエルサレムに行き、死をもって私たちの救いの道を開こうと、心に定めておられたのでした。まさに父なる神へ、十字架の死に至るまで従い通そうという覚悟が見られます。

 そしてガリラヤからエルサレムに行くためには、サマリヤを通ることが一番の近道でした。それでイエスは弟子たちに、その旅の中間地点としてのサマリヤに滞在する準備をするように指示されます。今風に言えば、ネットで適当なホテル予約をポチッとしておいてね、ということでしょうか。おそらく、イエスのすばらしい教えと奇跡の数々はサマリヤの人々にも知られていたことで、彼らもイエスを迎えたいと思ったかもしれませんね。

 しかし、イエスがサマリヤはあくまでも通り道であり、目的地がエルサレムだと知ると、イエスを受け入れなかったと考えられています。そのため、イエスをメシヤと信じている弟子たちは、旧約聖書の預言者エリヤのように天から火を下してください、とイエスに願ってしまいます。(列王記Ⅱ1:9-12をイエスの弟子たちも読んでいたのでしょうかね。)

 そのことに対しイエスは「しかし、イエスは振り向いて、彼らを戒められた」(9:55)と。

イエスはさばくことは、天の父のなさる事といっさいを委ねておられました。「そして(平和的に)一行は別の村に行った」(9:56)と。教会でも自分の方法、考えがベストだと言い張り、それ以外を認めないことがあるかもしれません。しかしイエスはそうされませんでした。

 

Ⅱ.「弟子も前を向いて進もう!」

 そして次に、イエスの救いを信じる人々、イエスの弟子として生きようと追い求めている人々への教えが語られています。

 まず、イエスに従いたいと願う人には、「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません」(9:58)と。十字架への道には孤独な戦いもあると教えます。

 また、二番、三番目の人には、「出て行って、神の国を言い広めなさい」(9:60)、そのためには親の葬儀よりも優先しなさい、と。これは厳しい教えのようですが、旧約聖書には祭司(レビ21:11)にも、ナジル人(民数記6:7)にも同じようなことが求められています。イエスは、神の国のために枕する所もない孤独な戦いに耐え、家族のきずなを捨てて宣教しておられました。イエスに従う私たちもまた、同じ気構えが必要だと教えられるのです。

すなわち、イエスに従う者は、イエスにならうことを追い求めなさいということです。

だから、これは肉親の情を捨てなさいとの教えではありません。イエスもご自分の母のことを心配され、十字架の上から弟子にご自分の母のことを託されました。大切なことは、私たちの思いに働きかける御霊の声を聴き分けることです。そしてとにかく従ってみることです。自分の思いだけで決断するのではなく、主に尋ねるという習慣を身につけることです。この霊的なトレーニングとも言えることを日々、心がけることが大切です。そうするなら、私たちは、そして教会は「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです」(ピリピ2:13)、ということを体験することでしょう。

 

勧め)「前を向いて進もう!」

 2022年度、様々なことが個人的にも、また教会的にも私たちにはあることでしょう。

 しかし、その様な時に、私たちは本日の聖書の学びを思い出すのです。

 イエスは父なる神に従われました。私たちもそのように主なるイエスに従いたいと願います。本日の中心聖句「だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません」(ルカ9:62)を、主は私たちにも求めておられます。

 

 そのために、私たちはみことばと、聖霊の私たちの心へのささやきに耳を澄ましてください。それが主への真の従順の一歩であり、確かな歩みとなることでしょう。