タイトル
福音伝道教団 葛西福音キリスト教会 聖書のお話し2021年7月4日(日)
1.テキスト(ヨハネ14:1から6)
2.タイトル「再臨、みわざの完成」(主の再臨を待ち望む)
「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください」
聖書を土台とする逸話として、ロンギヌスの聖槍が最近のアニメやゲームの世界、また映画などで時々登場します。ま、それはそれでエンターテインメントととして楽しめばよいのかもしれません。またそれで聖書や教会に興味を持っていただければそれはそれで嬉しいことです。この槍について「NHK(ダークサイド、ミステリー)」の番組で取り上げられていました。少し紹介しますと。その槍とは「ファイナルファンタジー」や、映画「コンスタンティン」、「新世紀エヴァンゲリオン」で究極のアイテムとして登場し、また「運命の槍」として、ハプスブルク家所蔵の槍をアドルフ・ヒトラーも手にしました。ただ、ヒトラーの手にした槍を科学分析したところ、8世紀に造られたものであるという結果も出ています。そもそも槍の由来はイエス・キリストの伝説が元とされ、イエス・キリストがローマへの反逆で十字架につけられた時、「ロンギヌス」というローマ兵がイエスのわき腹を刺し、その時イエスの血が槍をつたってロンギヌスの目に入り、病の目が奇跡的に治癒しました。その後ロンギヌスは改心(番組の表現、聖書的には「回心」)し、洗礼を受けたというお話です。現在、ロンギヌスの槍と呼ばれるものは、世界に三本存在します。それぞれについての奇跡の逸話があります。アルメニアの場合、ノアの箱舟が漂着したと伝えられるアララト山近くの「エチミアジン大聖堂」にあるロンギヌスの槍は、3世紀、異教徒の国王の病気を治療し、国王はキリスト教に改宗。アルメニアは世界初のキリスト教国になったと伝わっています。他の2本はトルコ、アンティオキア。そしてヒトラーの手にしたオーストリア、ウイーンのハプスブルク家ものなど。しかし、番組では新約聖書のヨハネの福音書19章を取り上げ、そこには一切槍の奇跡の記載がない事実を明らかにしています。また、ロンギヌスという名は新約聖書の外典、「ピラト行伝」に記されてはいますが、そこにも奇跡の逸話は記されていない事実も明らかにしています。奇跡の逸話は、イタリアのジェノバで13世紀、各地のキリスト教偉人伝を収集した「レゲンダ・アウレア」(ジェノバ第8代大司教ヤコブス・デ・ウォラギネ著)の第47章に記されています。しかし彼が元にした書物の多くは、創作や聖書の拡大解釈物で、後に問題になるほど話が盛られていました。それでも、当時の人々は聖人の物語に奇跡や感動を求め、この本は大ベストセラーになり、それが現在まで伝わっているのだそうです。話としては、ロンギヌスの槍のお話しはおもしろいですが、やはり、私たちは聖書から真実を学びたいと思います。
本日は、教団の信仰に学ぶの第三回目、再臨待望信仰について学びましょう。詳しく学ばなければならない点は、まだまだ多くあると感じてはいますが、現在、手掛かりとなる福音伝道教団の聖書の読み方、考え方、基本的信仰について、福音伝道教団の「信仰の手引き」から学びましょう
再臨待望信仰について記されているのは先ほどの信仰の手引き、第8章「世にある証人として主の再臨を待ち望む」の中にあります。そこには、「主の再臨とは、人類の罪を贖うために地上に来られ、みわざを完成し、天に帰られたイエス・キリストがもう一度来られることです。主の再臨については、主イエスご自身も、使徒たちも多くの箇所で言及しています」と記されています。そして、この再臨待望信仰に深いかかわりのあるみことばとして、ヨハネ14:3、Ⅰテサロニケ4:16、黙示録22:20が示されていました。
では再臨待望信仰とはどのようなものなのでしょうか。聖書のみことばから皆様とともに再臨の恵みの深さ広さを学びたいと願います。
まず、第一は「ヨハネ14:3」では再臨についてどのように教えられているのでしょうか。
「わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです」(ヨハネ14:3)。
それは一言でいうとすれば、それはイエス・キリストが十字架の死を通られて、復活され、ご昇天されることにより、私たちのために天に住まいを備え、再臨され、そこに私たちを迎え入れてくださるということです。イエスの弟子の私たちが、天国において完全にイエスに受け入れられるようになることです。これこそ、イエス・キリストが地上を去ってご昇天される第一の目的であり、そしてイエスを信じ従う私たちに与えられた永遠のいのちの祝福が完成することです。
ダビデが詩篇で賛美する、主の家の客人としての恵みを、私たちはイエスの再臨において味わうことになるのです。
「私は、いつまでも、主の家に住まいましょう」(詩篇23:6)。
次に示されているみことばは「Ⅰテサロニケ4:16」です。
「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり」(Ⅰテサロニケ4:16)。
このみことばは、イエスが再臨でどのように天から下り、そして再臨の恵みがどのような出来事の順番で起こるのかを私たちに教えてくれています。
このみことばが語られる背景には、パウロがテサロニケを去ってから後に、テサロニケ教会のある人々が死んだということから生じる、教会の人々の恐れに対するパウロの答えでした。テサロニケ教会の人々は、主の再臨の前に死んだ人々が、主の再臨の約束の恵みにあずかることができるのどうか?また、恵みにあずかることができるとしたらどのようなものか?そのような疑問をテサロニケ教会の人々は、不安を抱きながら持っていたからでした。
ですから、そのことについてパウロは、丁寧に終末の出来事の順序を話し、主の再臨のようすを描写しながら教えています。
ただ、終末について聖書は、イエスの再臨の具体的描写として最も詳しいと思われるこのテサロニケ教会の手紙でさえ、わずかなことしか明らかにされていないことを知るとき、私たちは主の再臨についての独断的な判断は慎まなければならないのでしょう。その理由は、パウロのそれぞれの手紙の間でも、終末論について一見相違があるように見えると言われるからです。聖書は、それぞれの教会の具体的状態の相違と、そこへ向けて書かれる勧めのことばの表現、取り上げられる事がらの相違があるということを踏まえて読まなければならないからです。
最後は「黙示録22:20」です。
「これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください」(黙示録22:20)。
このみことばが私たちに教えてくれるのは、主の再臨は訪れつつあるということです。このみことばの「来る」は「来つつある」という意味を持ちます。ですから、まだ再臨は到着していないが、すでに主イエスは御国を出発しているという意味を含んでいます。これに対して、ヨハネをはじめといるすべての聖徒たちは、「アーメン。主イエスよ、来てください」と答えているのです。「アーメン」とは、主イエスが言われたことに同意し、そう確信していることを示している。また、1コリント16:22の「マラナ・タ」というアラム語の表現も同じ意味で「主よ、来てください」です。私たちもヨハネに連なる主の弟子として、「アーメン。主イエスよ、来てください」と告白しましょう。
本日は再臨についての学びの第三回目として、再臨についての「主のみわざの完成」を聖書のみことばから学んでまいりました。すなわち、私たちの住まいが天に備えられていること。また、どのように主が再臨されるか。また私たちは、みわざの完成である再臨を待ち望む信仰を使徒ヨハネ、そしてすべてのクリスチャンの皆様とともに待ち望みましょう。「主よ、来てください」と。
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