新約聖書から神様の愛をあなたへのページ

福音伝道教団

葛西福音キリスト教会 説教



タイトル

倒されますが、滅びません

.テキスト「第Ⅱコリント3章12節から4章9節」

2.タイトル「倒されますが、滅びません」

3.中心聖句「第二コリント4章6節」

『「光が、やみの中から輝き出よ」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。』

4.本文「倒されますが、滅びません」

 序)七転び八起き、ダビデの詩

 聖書は約束します。「倒されますが、滅びません」と。

 日本の古い知恵のことばにも似たものがありますね。「七転び八起き」と。これは皆様もよくお知りの有名なことばです。その意味は、昔の子供のおもちゃで「起き上がり小法師」というものがあります。それと同じように、何度失敗してもくじけず、立ち上がって努力することです。ですから、浮き沈みの激しい人生を生きる人を励ますことば、エールですね。

 

 イスラエルを繁栄に導いた王様、ダビデは若いときも年老いても苦労の多い人生を歩んだ人物です。聖書にはそのような彼を描いた詩篇があります。

 

(詩篇3724)

「その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。主がその手をささえておられるからだ。」

 本日は、「倒されますが、滅びません」というタイトルで聖書のお話しをお語りさせていただきます。どうか、私たちの人生の中で、たとえ倒されることがあるとしても、主がその手を支えておられるので無駄にならない人生、滅びない人生の秘訣を聖書から教えられましょう。

 

本日のテーマ) 「倒されますが、滅びません」

 

(1) 聖書が描く様々な栄光

 なぜ、「倒されますが、滅びません」と聖書は約束できるのでしょうか。

 それは神様を信じる者には、神様の栄光が与えられるからだと約束します。

 

 ①神様が与えてくださる栄光

 

(第二コリン人への手紙ト318)

「私たちはみな、・・・主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」

 

(第二コリント人への手紙46)

『「光が、やみの中から輝き出よ」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。』

 

 これはどのような栄光なのでしょうか。聖書には三種類の栄光が描かれています。

 

②その一つは、人と悪魔の手にある栄光です。

 

(マタイの福音書48)

「今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、」

 

「栄華」となっていますが、英語の聖書では「glory」となっていて、「栄光」とも訳せることばです。これは悪魔がイエス様を誘惑するために見せた、人間でも作り出せる栄光です。世界のあらゆる文明、芸術的美しさ、権威、人間の建てた壮大な都市国家、自らの名が記念碑となり歴史に残ることも含まれるでしょう。

 

 ③次には、自然界に現された神様の栄光です。

 

(詩篇191)「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。」

 

 これは、人間がどのようにしても作り出すことができない、自然界に現されている神様の栄光です。初夏を迎えて教会玄関に植えられたアジサイや花々が鮮やかに咲いています。これは人間の手のわざをはるかに超える美しさですね。

 

④第三番目は本日のテキストに記されている「主イエス・キリストの栄光」です。

 

(2) 十字架で示されたキリストの栄光

 では、その栄光はどのような栄光なのでしょうか。聖書にはこのように記されています。

 

(第二コリント人への手紙4章6節)

『「光が、やみの中から輝き出よ」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。』

 

 私たちの人生の道はいつも明るいとは限りません。また、私たちの心にも暗闇があり、人を愛そうとして、逆に傷つけることもあるのではないでしょうか。神様は恵みによって「私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださ」いました。

聖書が救いの神を『「光が、闇の中から輝きでよ」と言われた神』と言っているのは、光は神様を離れては存在せず、また神様によって存在させられていることを示そうとしているからです。これは、聖書の創世記の天地創造の記事からのことばです。そして聖書では、人の救いを、「暗闇から光に」ということばで表しています。

 その私たちを「暗闇から光に」救い出されるイエス様とはどのようなお方なのでしょう。聖書はそのお方についてこのように記しています。

 

(ヨハネの福音書114)

「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」

 

 これは、神様の御子であられるイエス様が、クリスマスの物語で語られたように、私たちを救うために「人となって、私たちの間に住まわれた」のです。なぜでしょうか。それは目には見えない神様を、私たち人間がイエス様を通して、その恵みと愛を理解するためなのです。

 ある牧師先生が電気の話で説明されていました。イエス様とは変圧器のような方だと教えていました。私たちの家の明かりは電気で輝いています。その電気はどこかの発電所で発電されています。しかし、発電所で発電された電気は、私たちの家の電気、100ボルトよりも高い電気です。ですから、それをそのまま家で使うことはできません。そこで、変圧器で電気を私たちが使いやすいように100ボルトに下げるのです。そのようにイエス様も天の神様の恵みと愛を、私たちにわかるようにしてくださるのです。

 

(3)回心し、キリストの栄光で人は救われるのです。

 聖書は私たちが、正しい生き方を教えられたとしても、また学んだとしても生き方を変えられないと教えています。それはたとえ、聖書が読まれ、また学ぶとしても、です。聖書は約束します。

 

(Ⅱコリント人への手紙31516)

「モーセの書が朗読されるときはいつでも、彼らの心にはおおいが掛かっているのです。しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。

 

 人は罪の影響で正しいこと、それがたとえ聖書であっても、人は自分の生き方を正しく変えることはできないのです。しかし、聖書が証し、さししめしているイエス様を信じ、イエス様の方に人生の歩みを変えるなら、人は救われるのです。そのことを教会では回心といいます。改めて言いますが、改心ではありません。聖書は言います。

 

(Ⅱコリント人への手紙314)「それはキリストによって取り除かれるものだからです。」 

 

 そして、イエス様を信じて罪から救われた人は、日々新しくされて、イエス様と同じように人々を愛し、人々から愛される人に新しくされていくのです。聖書も約束します。

 

(Ⅱコリント人への手紙318)

 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。