新約聖書から神の愛をあなたへ

福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

「信じきった人は幸い」

葛西福音キリスト教会説教2020126()

1.テキスト「ルカの福音書1章2638節」

2.タイトル「信じきった人は幸い」

3.中心聖句「ルカの福音書145節」

「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」

4.本文「信じきった人は幸い」

 序)「アドベント(待望の時)の意味を考える」

  アドベントとは「待望の時」です。ですから「待つ」ことを学ぶ時と言えます。それは私たちが神のことば、そして神の約束の成就を「待つ」ということを学ぶことになります。私たちはその学びを通してアドベントを、神が最善の時を知っておられ、神が最善の導きを知っておられることを信じ、耐え忍び、そして喜びたいと願います。またそのようなアドベントが毎年繰り返され、私たちは神に導かれる人生が最善であり、神のことばが私たちの人生に成就することを経験させていただきたいとも願っています。

  本日の中心聖句、ルカの福音書145節、「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」には、マリヤのアドベントの信仰が表されています。私たちもこのマリヤの信仰を聖書から教えられましょう。

 

テーマ) 「信じきった人は幸い」

Ⅰ.「神の恵みを信じ受け入れる困難」

  マリヤの住んでいたガリラヤのナザレは、エルサレムから北へ約140キロほど離れた小さな村でした。住民は約500人弱だと言われています。そのマリヤのところに天使ガブリエルが来て、神からの祝福のことば、神の祝福の約束を伝えます。

 

(ルカの福音書12831)

『御使いは、入って来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます」。しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。」

 

  しかし、マリヤは伝えられた、この突然の神のことばを、受け入れがたい状態にありました。

 

(ルカの福音書127)

「この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなづけで、名をマリヤといった。」

 

  マリヤはすでにヨセフと婚約していて、結婚を控えていたのです。クリスマスの季節、教会ではこの物語を何度となく読まれることでしょう。しかし、マリヤに伝えられた神のことばは、マリヤにとって美しいクリスマス物語とは言えず、受け入れがたいものだったのです。すでに婚約、その当時のユダヤでは事実上結婚しているマリヤでした。その彼女が結婚前に子どもを宿すことは最悪の状況です。それは大きな罪でした。彼女は石打の刑で死ななければなりません。そこで、マリヤは思わずこのことばが口に出たのでしょう。

 

(ルカの福音書134)

「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」

 

  確かに、天使はマリヤに事前に尋ねませんでした。「身ごもることになりそうだけれどもいい?」と。ただ天使の「おめでとう、恵まれた方」、このことばによって受け入れるしかないという状況は、マリヤにとって酷な状況でもあったでしょう。

  私たちの人生にも「なぜ自分の人生はこんな状況になったのだろうか?」と思うこともあるでしょう。過去の痛みや、裏切り、傷つけられた親子の関係、友人関係、突然の病など、その多くは何の断りもなく突然起こります。

  そこに「神の恵みがある」「神の計画がある」と言われても、マリヤと同じように「どうして私の人生にこんなことが起こるの?」「私が何をしたの?」と神の恵みを信じ受け入れる困難を私たちは感じるものではないでしょうか。

 

(ルカの福音書145)

「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」

 

と言われていますが、信じきる信仰を持つ幸いな人になることは難しいと感じませんか。

 

Ⅱ.「信仰とは、神のことばを謙遜に受け入れること」

  マリヤの夫、ヨセフはこの状況をどのように受け止めたのでしょうか。

 

(マタイの福音書119)

「夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。」

 

  夫のヨセフは神を信じる正しい人でした。当然、結婚前のからだの関係を持っていません。互いにきよさを求め、忍耐を重ねながら結婚の日を待っていました。そのヨセフに、たとえマリヤが天使ガブリエルの話し、聖霊による妊娠を話しても信じてもらえないでしょう。

  しかし、ヨセフの正しさは、マリヤへの愛と共にありました。ですから、マリヤが不貞の罪で石打の刑(申命記22章23節)になるのを避け、「内密に去らせ」たのでしょう。ですから、クリスマスを機に、夫婦の正しさが愛と共とあるものとしてください。そうすれば、夫婦げんかも前向きなもの、生産的なものとなるのではないでしょうか。聖書もこのように教えています。

 

(箴言1012)「憎しみは争いをひき起こし、愛はすべてのそむきの罪をおおう。」

(Ⅰペテロの手紙48)「互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。」

 

  さて、マリヤはその後、どのように天使ガブリエルを通して伝えられた神のことばを受け止め、そして信じきる幸いな信仰を持つことができたのでしょうか。聖書にはこのようにあります。

 

(ルカの福音書138)

『マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。』

 

  マリヤは神のことばの前にへりくだり、その語られたことばを信じ、受け入れました。その従順さは「はしため」とあるように、主の奴隷として、そのおことばに従うというものでした。

その理由は何でしょうか?それはもちろん、天使の語ったエリサベツの妊娠も理由の一つでしょう。またマリヤの妊娠が聖霊による働きとも知りました。しかしそれ以上に、この後ザカリヤとエリサベツの家での賛美「私たちの父祖たち、アブラハムとその子孫に語られたとおりです。」(ルカの福音書1章55節)との旧約聖書の神の約束の成就との気づきに導かれたことが大きいのではないでしょうか。ここで私たちが目をとめるべきは、マリヤの信仰のすごさではありません。また年齢や信仰歴でもありません。そうではなく、人間の人生を導かれる神のことばのすごさであり、預言を成就させる生ける神の御力なのです。

同じように、私たちの人生にも神のことばは必ず成就します。それは試練としか言いようのない出来事の中でも、神のことばは必ず私たちの人生の中で成就します。

ですから、私たちもマリヤと同じ信仰のことばを告白しましょう。「おことばどおりこの身になりますように」と。そしてマリヤのように信じきる幸いな人とさせていただきましょう。

 

祈り(勧め)「信じきった人は幸い」

① 「信じきった人は幸い」なのです。クリスマスはすべての人に救い主イエス・キリストを信じなさいと勧めます。そして信じるなら罪から救われ、天国への切符と共に、新しい人生、幸いな人生を約束します。ですから、イエスをご自分の救い主であると信じてください。

 

 

②「信じきった人は幸い」なのです。今年も様々なことが私たちに起こったかもしれません。それは悲しいこと、苦しいこと、出口が見いだせないことかもしれません。しかし、どのような状況でもマリヤのように神のことばの成就を信じましょう。生ける神の御力が成就することを信じきる幸いな人に私たちは導かれましょう。