新約聖書から神様の愛をあなたへのページ

福音伝道教団

葛西福音キリスト教会 説教


タイトル

人は変われるのか

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タイトル

人は変われるのか

 

  「ピリピ人への手紙413節」

「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」

 

タイトル 「人は変われるのか」

 

①神様は三日坊主な私たちを変えて下さるお方です。

 皆様、人は変われると思いますか。どうでしょうか。

 しかし、三日坊主という言葉もあります。何事も飽きっぽくて長続きしないこと。ことばの意味は、修行に耐えられず、三日で還俗(げんぞく)してしまう僧侶のこと。還俗とは一度、出家した者が、再び俗人に戻ることです。たとえ尊い願いや思いをもっていても、それを長続きさせることができないことです。すこし、情けない、残念な生き方です。

 私も牧師ですが、情けない、残念なグループに入る人間です。正直いうと、根っからの「三日坊主」体質のようで、学校の先生や両親によくしかられた記憶があります。皆様はどうですか。

「自分を変えられれば良くなる」このことばは大切です。しかし、本日「三日坊主」な人に聖書から耳よりのお話をお伝えしたいと思います。

聖書にはこのような言葉があります。

 

(創世記2214)「主の山の上には備えがある」

 

  このことばの意味は、神様と出会うなら、私たちに必要なものは備えられるということです。

そして、神様に備えられた人、パウロのあかしのことばが聖書にあります。

 

(ピリピ人への手紙413)

「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」

 

どうか、皆様にもパウロのように、その「強くしてくださる方」を知っていただきたいと願います。

もちろん、「強くしてくださる方」とは神様のことです。

 

では、皆様が「強くして」いただくためにどうすればよいでしょうか。本日はそのことを二つに分けて、聖書から教えられましょう。

 

②「主を愛し、この世を憎む」(憎むとはどういう意味か)

 その第一のことは「主を愛し、世を憎む」ことです。聖書にはこのようにあります。

 

(ルカの福音書1426)

 「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません。」

 

ここでの「憎む」ということばは、私たちに誤解を招くことばだと感じるかもしれません。

イエス様の愛の教えと、ここでの「憎む」との関係はどういうことでしょうか。この世を憎むとは、神様のことを第一にして、大切にしなさいということです。

ここで、家族を憎むという意味を取り違えないでください。皆様、聖書は家族を大切にしなさいと教えています。

 

(Ⅰテモテへの手紙58)

「もしも親族、ことに自分の家族を顧みない人がいるなら、その人は信仰を捨てているのであって、不信者よりも悪いのです。」

 

ですから、親子の愛情も、夫婦の愛情も大切で、尊ばれなければならないものです。

しかし、皆様がイエス様を第一として生きる時、皆様は神様の豊かな祝福を必ず受けます。

そして、家族の中に神様を信じる人がいるなら、その人を通して、神様の祝福はその家族にも及ぶのです。

 

③「神様を信じる努力は続かない」

 でも、ここまでお話をしても皆様はおっしゃるかもしれません。神様を信じて生きるのはむずかしいと。聖書は難しいし、牧師の話もつまらないし、神様を信じる努力は続かないと。

 たしかに、 聖書には、神様を信じることについて、このように書かれています。

 

(ルカの福音書1428から30節)

「塔を築こうとするとき、まずすわって、完成に十分な金があるかどうか、その費用を計算しない者が、あなたがたのうちにひとりでもあるでしょうか。基礎を築いただけで完成できなかったら、見ていた人はみな彼をあざ笑って、『この人は、建て始めはしたものの、完成できなかった』と言うでしょう。」

 

 神様を信じるなら、自分自身の信仰がどのようなものか、自己吟味しなさいといわれます。

でも、ここで誤解しないでください。これは神様を信じる努力が求められているのではありません。ある牧師はこの個所を説明してこのように言っていました。ある人に「あなたはキリストの弟子にふさわしい生活、神様に忠実な教会生活する力をお持ちですか。」と質問します。そしてその問いかけられた人が、「私にはその力があります。ただ今までは努力が足りなかったのです。それで、もう一度、決心を新たにして、本気になってやってみます。」と答えるならば。すると、その牧師は「しかし、それでは、その結果は、必ず失敗する」と言います。

聖書にも神様を努力や人の能力で信じようとして、絶望した人のことばが記されています。

 

(ローマ人への手紙718)

「私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。」

 

これは、冒頭で「神様に備えられた人」、パウロが努力の限界を知った絶望のことばです。

そのパウロは、「強くしてくださる方」に近づくことばを聖書で教えています。

 

(ローマ人への手紙109)

「あなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。」

 

弱い自分に絶望したパウロは、イエス様と出会い、イエス様を知りました。そしてイエス様を信じたのです。そして、彼は言います。

 

(ピリピ人への手紙413)

「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」

 

 彼はイエス様を信じることにより、できる人になったのです。

 どうか、皆様にもイエス様と出会い、イエス様を信じていただきたいと願います。

 

祈りましょう。 主よ、あなたの御名を信じて祈ります。

    どうか、コロナウイルスから世界が救われますように。

    今困難な中にいる、私たちの健康と暮らしが守られますように。

    私たち、一人一人が神様を信じる中で、備えられますように

    私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるように。

  

 イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン