葛西福音キリスト教会2020年10月25日(日)
1.テキスト「ピリピ人への手紙2章1から11節」
2.タイトル「二つの愛」
3.中心聖句 「ヘブル人への手紙12章2節」
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」
4.本文「二つの愛」
序)父性的愛と母性的愛
父性的愛が母性的愛と異なり、条件付きであるとお話ししてきました。ですから、荒野でイエスが神の愛される御子であることを証明するようにとの誘惑を受けたと同じように、私たちも自分には愛される価値があると証明しなければ、愛を受け取れないとの思い込みに陥りやすいのではないでしょうか。あのジェームスディーン主演の「エデンの東」でも父から愛される子と認められるために、様々な行動に出ましたね。しかし、多くの識者が言っているように、子どもには愛される証明をする必要はないのです。証明するのは父親の責任です。しかし、地上の父親は父になるための何かを学んでいるでしょうか。お母さんは愛における母と子の心理的な結びつきの大切さを知っている方も多いと思われますが。また、人間の愛には罪のために限界があると聖書は教えています。本日は子育て中の親御さんにも、またこれから親になられる方、もしくは親の愛に傷ついている方々への救いと祈り、そして神への信仰となればと願っています。
本論「二つの愛」
1.父からの拒絶感に苦しむ
最初の頃にお話ししました通り、父からの拒絶感に苦しむ人は多いようです。ですから自分は「生まれてくるべきではなかったのでは?」との答えを求める苦しみから解放され、あなたは「子どもとして受け入れられている」。あなたは「望まれて生まれてきた」とのはっきりとした確信が必要なのです。そしてそれは父なる神の愛を知ることによって完成するものなのです。
ですから、父親が愛してくれなかった、また私は父親を知らないで育った、父親に捨てられたとの地上の父親の不完全性を嘆くことがあったとしても、聖書はその心に空いた穴を父なる神の愛で満たすことができるのです。
それは福音というものが、罪ある人、神との断絶の中に生きてきた人が、イエス・キリストの十字架の救いによって父なる神と和解し、「愛される子」として受け入れられるためにあるからです。聖書もこのように保障しています。
(Ⅰペテロの手紙2章25節)
「あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。」
ですから、いのちを与え、生かしてくださっている父なる神との和解こそが十字架の救いの目的なのです。父なる神から「愛される子として受け入れられること」こそが福音の真の目的です。
2.母性的な日本の教会
しかし、教会において、「ありのままのあなたが愛されている」ということばは、皆さんもどこかで聞いたことがあるのではないでしょうか。その日本のキリスト教の神の愛の母性的側面を強調する傾向について、日本の教会が内向きであることと無関係ではないといわれてもいます。日本の心理学の第一人者の河合隼雄(かわいはやお)さんも「日本人はほんとうの父性というものを理解できていません」と指摘しているそうです。この指摘は、日本のキリスト者が父なる神の愛を理解できていなことの教会への警告でもあると思います。
私たちは救いを通して、すべての人のために身代わりとなって死んでくださったイエスの愛を、心から信じ理解することができました。確かに、十字架の上で示された神の愛は「ありのままのあなたを愛している」と。しかし、ひとり子イエスに死に至るまでの従順を求めた父なる神の愛を、私たちはどれだけ理解しているでしょうか。聖書にはこのように記されています。
(ピリピ人への手紙2章7-9節)
「ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。」
「それゆえ」、父なる神はイエスの従順を高く評価され、「すべての名にまさる名をお与えになりました」、ここに父から子への承認が与えられました。私たちは「ありのままのあなたが愛されている」という受けるイエスの十字架の愛、そしてキリストにあって、または聖霊に満たされていることにより「天の父が完全なように、完全でありなさい」との自分の十字架を負ってキリストに従うという、キリストの愛に生きることへのバランスは保たれているのでしようか。イエスはこのように言っています。
(マタイの福音書10章38節)
「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。」
(ヘブル人への手紙12章2節)
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」
ですから、私たちはイエスの生き方と教えから目を話してはならないのです。
ですから、皆さん、救われたすべての人は、立ち止まらずにイエスから目を離さないで、信仰の成長を目指しましょう。聖書もこのように勧めています。
(第一コリント人への手紙3章1節)
「兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。」
(第一コリント人への手紙14章20節)
「兄弟たち。物の考え方において子どもであってはなりません。悪事においては幼子でありなさい。しかし考え方においてはおとなになりなさい。」
(ヘブル人への手紙5章13-14節)
「まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。」
祈り(勧め)
①イエスの十字架を自らの罪のためだと信じて救われましょう。神の愛があなたに満ちます。
②イエスを信じた人はイエスの教えと生き方に注目しましょう。
③二つの愛、イエスの十字架の愛と、自分の十字架を負ってキリストに従う愛に生きましょう。
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