福音伝道教団―葛西福音キリスト教会、聖書のお話し、2021年8月8日(日)
1.テキスト(Ⅰテサロニケ5:1-3)
3.中心聖句(使徒の働き1:11)
「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」
4.本文「主のご昇天と再臨」
序)「教団の信仰に学ぶ―主のご昇天と再臨」
本日は、教団の信仰に学ぶの第三弾、「主のご昇天と再臨」について学びましょう。詳しく学ばなければならない点は、まだまだ多くあると感じてはいますが、現在、手掛かりとなる福音伝道教団の聖書の読み方、考え方、基本的信仰について、「私たちの信仰告白の手引き」から学びましょう。
本論) 「主のご昇天と再臨」
「主のご昇天と再臨」について記されているのは先ほどの信仰告白の手引き、第8章「世にある証人として主の再臨を待ち望む」の中にあります。そこには、「主の再臨は、天に上って行かれた時と同じ有様、すなわち、みからだをもっての可視的な出来事であり、突然な出来事、そして栄光に満ちた勝利の出来事です。」と記されています。そして、「主のご昇天と再臨」に深いかかわりのあるみことばとして、使徒の働き1:11、Ⅰテサロニケ5:1-3が記されていました。
では「主のご昇天と再臨」は私たちにとってどのような生き方を勧めるのでしょうか。その生き方について聖書の語りかけに耳を傾けてまいりましょう。
Ⅰ「主のご昇天が約束する再臨」
まず最初、使徒の働き1:11は、主のご昇天は、主が約束された再臨を示していると教えます。
(使徒の働き1:11)
「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」
この使徒の働き1:11前後には「昇天」と「再臨」というキリスト教信仰において理解するのに困難を感じる二つの内容が述べられています。それはもはや人間の理性や表現の手段を越えた事柄が取り扱われていると言われています。
弟子たちは復活されたイエス様と四十日過ごしますが、そのイエスのからだはもはや地上のからだではなく、栄化されたからだでした。すなわち、弟子たちは自分たちも再臨の時に変えられる栄化のからだの状態をその目で見たことでしょう。
それであるので、主のご昇天は主の弟子たちにとって主の再臨の約束が確かなものであるとの信仰の確信を深めたことでしょう。この世界は、現在も一つの方向に向かって進んでいます。歴史は決して無目的に進んでいるのではありません。この世界の歴史の方向には、はっきりとした神の意志と計画があります。その実現と完成が地上的に明らかにされるのが再臨なのです。
Ⅱ「再臨に備える」
そして次の、Ⅰテサロニケ5:1-3には、その再臨に備えることについて教えられています。
パウロはこのテサロニケ人への手紙を、現実に生き戦っているテサロニケ教会に、手紙という形で教えを書き送っています。その書かれた理由は、主の再臨についてパウロが宣べ伝えたことと、それを聞いていた教会のある人々の誤解があったからでした。そのため、テサロニケ教会は様々な混乱をきたしていたようです。また、テサロニケ人への手紙は、終末論についてパウロの他の手紙と一見相違があるように見えるとも言われるなど、難しさもありますので注意深く見てまいりましょう。
①「再臨の時を知ることよりも大切なこと」
このテサロニケ人への手紙を学ぶことにより、私たちは主の再臨を待ち望むクリスチャンの現実の生活を学ぶことができるでしょう。まずその第一は、その時がいつかを知ることよりも、待ち望み備える信仰の姿勢を学ぶことが大切だということです。聖書はこのように教えます。
(Ⅰテサロニケ5:1)
「兄弟たち。それらがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。」
パウロは、主の再臨の時についての細部にわたる推測や詮索ではなく、主の再臨をいつでも迎える用意を整えているクリスチャン、そして教会の形成、つまり、目をさまして、祈りつつ働く教会のあり方が大切だと教えようとしています。
②「再臨の時は、突然来る」
次に、再臨の訪れる時について、このように教えます。
(Ⅰテサロニケ5:2)
「主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。」
この「夜中の盗人のように来る」という、わざわいが突然襲うことの警告の表現は、福音書におけるイエスのたとえにも多く出てきます。イエスはそのたとえの中で、教会の指導者に対する警告として教えておられます。この手紙でも同じように、クリスチャン個人への教えとともに、牧師やキリストのからだなる教会に対する教えとして聞く必要がここで訴えられているのです。
ですから、私たちはそのような緊張感をもって日々を過ごし、また教会の礼拝と奉仕をおささげしたいと願います。
③「再臨の時、人はその時を知らない」
最後に人は再臨や終末の時を知りたがりますが、その時を見極めることはできないと教えます。
(Ⅰテサロニケ5:3)
『人々が「平和だ。安全だ」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。』
それは『人々が「平和だ。安全だ」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかか』ると教えます。そして「妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してでき」ないと教え、その時が突然、苦しみをもって訪れると断言するのです。
ですから、このように突然襲う再臨に対して、私たちに何が求められるのでしょうか。それは、「いつなのか、またどういう時か」を知ることではなく、パウロがテサロニケ教会の人々に求めたように、イエスの十字架と復活により、現在の存在が根底から新しく変えられ、その新生され、キリストのからだなる教会に加えられた立場にふさわしく生きることによってのみ備えられることなのです。
勧め) 「主のご昇天と再臨」
私たちは主イエスが必ず訪れると約束された再臨に備える信仰生活を追い求めようではないでしょうか。その時は、突然、苦しみを伴う訪れであったとしても、クリスチャンの私たちは恐れず、その時のために備えようではありませんか。私たちは、イエスの十字架と復活により、現在の存在が根底から新しく変えられ、その新生され、キリストのからだなる教会に加えられたのです。その立場にふさわしく生きることによって備えようではありませんか。
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