新約聖書から神の愛をあなたへ

福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

「ベネディクトゥス」

福音伝道教団-葛西福音キリスト教会

聖書のお話し(Ⅱアドベント)2021125()

 

1.テキスト「ルカ1:67-80

2.タイトル「ベネディクトゥス」

3.中心聖句「ルカ1:68

 「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。主はその民を顧みて、贖いをなし」

4.本文「ベネディクトゥス」

 序)「アドベントとは」

 本日は第二アドベントにあたる日曜日です。アドベントとは、イエスが来られるのを待ち望むときです。そのクリスマスの意味を「ベネディクトゥス」と呼ばれる預言歌から教えていただきましょう。先日、祭司ザカリヤは、天使が告げる子どもの誕生を信じられませんでした。聖書には高齢のアブラハムにイサクという子が授けられたとあるのに。その彼が「ベネディクトゥス」と呼ばれる預言歌を語るのです。これはまさに「聖霊に満たされた」ゆえの一つの奇跡です。私たちも期待しましょう。弱く、口下手な私たちさえも主は用いてくださるのです。ヒントは「聖霊に満たされた」です。本日は「ベネディクトゥス」からクリスマスの喜びと使命を教えていただきましょう。そして私たちも聖霊の働きの中で愛する人々に語りましょう。

 

本論) 「ベネディクトゥス」

Ⅰ「ベネディクトゥスとは」

今、司会者にお読みいただいた箇所は、「ベネディクトゥス」と呼ばれる賛歌が含まれています。この「ベネディクトゥス」という名は、ルカ1:68の最初の「ほめたたえよ。」をラテン語に訳したことば「ベネディクトゥス」からそのように呼ばれる預言歌として有名です。

 この歌は二人の人物について歌っています。第一部として68-75節で、その一人、クリスマスの主人公である救い主イエスを賛美します。そしてもう一人は76-79節で、祭司ザカリヤの幼子であり、後にバプテスマのヨハネと呼ばれる預言者としての使命を預言として賛美します。

 

Ⅱ「救い主イエスは約束のとおりに来られる」

 まず、初めは、救い主イエスについて「ベネディクトゥス」では、救い主の誕生は旧約聖書の約束の成就であり、私たちの救いだと賛美します。

 

① 救い主は私たちの罪の救いのために来られると、神を賛美します。

「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。主はその民を顧みて、贖いをなし」(ルカ1:68)

神様の民を救われる出来事が出エジプト4:31にも記されています。神はエジプトで奴隷として苦しむイスラエルの民を「顧み」、「贖」ってくださいました。「贖う」とは、「失われたものを代価を払って買い戻す」という意味です。イエスはこの地上で苦しみ、悲しんでいる私たちを救うため、その原因である罪から救うため、十字架でその代価を私たちの身代わりとなって支払われたのです。ですから、イエスの十字架を信じる者は救われるのです。

 

②救い主は預言の約束どおり、ダビデの家に来られると、神を賛美します。

「救いの角を、われらのために、しもべダビデの家に立てられた」(ルカ1:69)

 聖書では「角」とは力強さを意味し、イエスの十字架の救いの確かさを教えています。そしてその救い主、キリストがダビデの家系に生まれるとの約束の成就を賛美します。その通りに、聖書が語るこの後のクリスマスの話しの中で、ヨセフとマリヤはダビデと血のつながった子孫なのです。しかし、ヨセフは育ての父で、イエスは聖霊によりマリヤを通してお生まれになられました。

 そしてイエスの救いについて、その理解を深めています。72節でその救いは神の「あわれみ」であり、イエスの十字架を信じるとは神との「聖なる契約」なのだと賛美し、教えています。おぞましい表現ですが、悪魔との契約を望むような救いがたい私たちでも、主の救いの「角」はすべての悪しきわざを突き崩し、私たちを解放するのです。

 

③第三、アブラハムとの約束の通りだと、神を賛美します。

「われらの父アブラハムに誓われた誓いを覚えて」(ルカ1:73)

 神は何をアブラムにお約束されたのでしょうか。

「約束は、アブラハムとそのひとりの子孫に告げられました。神は『子孫たちに』と言って、多数をさすことはせず、ひとりをさして、『あなたの子孫に』と言っておられます。その方はキリストです。」(ガラテヤ3:16)

 そのお約束を神は覚えておられるのです。この「覚えて」は「お忘れにならず」(ルカ1:54)と同じ語で、神の約束は不変の恵みです。そして私たちを「生きている限り…仕えさせてくださるのである」(新改訳2017)と神が救い主を通して、私たちを生涯、神に仕える者としてくださるのです。

 

Ⅲ「ザカリヤの子バプテスマのヨハネの使命」

 ザカリヤは聖霊に満たされ、後にはバプテスマのヨハネと呼ばれる自らの子にも、語りかけながらその尊い神からの使命を賛美します。その使命とは、主のみ前に立ち、その道を整え、イエスを救い主、すなわちキリストと指し示すことでした。そして、イエスと出会い救われた者は、神に仕える者にふさわしく変えられて行くことを述べ伝えることでもありました。

 

勧め)「ベネディクトゥス」

 「ベネディクトゥス」は私たちに告げています。

 クリスマスにお祝いされるイエスというお方は、聖書の預言と約束の成就によりお生まれなさったのです。そしてこの方以外には、私たちを幸いに導く救い主はおられないのです。ですから、イエスを救い主と信じてください。

すなわち、このクリスマスという救い主の誕生は、旧約聖書の土台の上に約束されたのです。ですから、イエス以外の他のだれかが、キリスト、メシヤ、救い主に成り代わることはできないのです。最近、自分が再臨の主、キリストであるとするグループから教会への接触が増えているそうですが、それはでたらめです。私たちは、イエス・キリストだけが聖書が約束した、唯一の救い主であると信じ、告白し伝道しましょう。