新約聖書から神の愛をあなたへ

福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

「よろこびの訪れ」

葛西福音キリスト教会2020年11月29日

1.テキスト「ルカの福音書1章5から25節」

2.タイトル「喜びのおとずれ」

3.中心聖句「ルカの福音書119節」

『御使いは答えて言った。「私は神の御前に立つガブリエルです。あなたに話をし、この喜びのおとずれを伝えるように遣わされているのです。」』

4.本文「喜びのおとずれ」

)クリスマスはなぜ楽しい?

  もちろん、町が飾りでにぎやかになること。プレゼントやおいしい食事があること。そういうこともあるでしょう。しかし、聖書が語るクリスマスにも、皆様に耳を傾けて頂きたいと願います。

 

本論) 「喜びのおとずれ」

Ⅰ.「神が覚えておられる時」

ルカはこのルカの福音書を、最初のあいさつの後に、いきなり主イエスの誕生を記すのではなく、祭司ザカリヤのことを記します。ザカリヤに現れた天使ガブリエルは、このように述べました。

 

(ルカの福音書1章9節)

「私は神の御前に立つガブリエルです。あなたに話をし、この喜びのおとずれを伝えるように遣わされているのです。」

 

ザカリヤの名前は、「神に覚えられた人」という意味で、神が忘れておられないという願いが込められているのでしょう。妻のエリサベツは、あのアロンの子孫で、名前の意味は「私の神は誓われた」という意味です。この夫婦は、由緒正しい妻のエリサベツ、そして夫のザカリヤは祭司でした。

ザカリヤは「アビヤの組の祭司」であったと聖書にあります。アビヤの組については旧約聖書の第一歴代誌24章に出てきます。祭司たちは24の組に分かれており、その8番目がアビヤの組でした。この順番はダビデ王の時代にくじで定められ、この順番が守られていました。そして1年に2度、それぞれの組に当番が回ってきました。そしてその組の誰かが神殿の一番奥の聖所に入って、香をたいて、祈りをします。その役割は改めてくじを引き、決められます。

今回、ザカリヤが祭司のしきたりに従ってくじを引くと、その聖所に入って香をたく務めに当たったのです。当時、祭司の数は、1万8千人から2万人もいたと言われています。その中から一人だけ選ばれて、一日中神の前に出て香をたき、祈りをするのです。祭司の中でこの務めをすることができない人も多くいたことでしょう。

まさに、ザカリヤにとって「ああ、神は私のことを忘れておられなかった」ということを実感することになったでしょう。

今年一年を少し振り返ってみませんか。私たちにとって「ああ、神は私のことを覚えてくださった」と思う出来事があったでしょうか。神が私たちの祈りに応えてくださったという出来事です。それとも、反対に、「神は私のことなんか覚えておられない。」と思うような出来事があったでしょうか。しかし、よく思い巡らして見ると、むしろ忘れているのは私たちの方が多いのではないでしょうか。この後、ザカリヤは自分がかつて神に願っていることを忘れていることが明らかになります。

神は私たちのどんなに小さな祈りも忘れておられません。神が私たちのことを覚え、祈りに応えてくださった出来事を思い巡らして見ましょう。

 

Ⅱ.「神が願いを聞かれる時」

  ザカリヤは神殿の一番奥の部屋で、生ける神の前に出て、香をたいていました。ザカリヤにとって最初で最後になるかもしれないことなので、とても緊張していたことでしょう。そのとき、突然、主の使いガブリエルが儀式に介入してきたのです。祭司であるならば、心の備えをしているべきことでしょうが、ザカリヤはできませんでした。

 

(ルカの福音書1章12)

「これを見たザカリヤは不安を覚え、恐怖に襲われたが、」

 

  旧約聖書のダニエル書にもガブリエルのことは記されています。当時、国が罪に陥って、神の救いが与えられないと苦しんだとき、ダニエルが「私たちの国を救ってください」と祈ったとき、ガブリエルが現れ、「あなたの祈りは聞かれた」と、神のことばを伝えたのです。

  そして再び、今、ザカリヤの前にガブリエルは現われ、願いは聞かれたと語りました。

 

(ルカの福音書1章13)

『御使いは彼に言った。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。」』

 

  聖書には、エリサベツは不妊の女だったので、彼らには、子どもがなく、二人とも既に年を取っていたとあります。この夫婦にとって子どもが与えられること、それは結婚当初は毎日の祈りであったでしょうが、年を取った二人にとっては諦めの心境だったのでないでしょうか。

 

(ルカの福音書1章18)

『そこで、ザカリヤは御使いに言った。「私は何によってそれを知ることができましょうか。私ももう年寄りですし、妻も年をとっております。」』

 

  私たちにもザカリヤのようなことがあるのではないでしょうか。かつては祈り求めていたことも、今ではあきらめの中で忘れてしまって、自分の生活のペースが出来上がって、「神様、今更なんですか」というときが。神は、このザカリヤのように、私たちのかつての祈りに応えて、信仰の冒険に踏み出すように招かれることがあるのです。皆様の若い日の祈りを思い返してください。そして、神が今、私たちに踏み出すようにと招いておられる新しい変化とは何か、思い巡らしてください。

 

祈り(勧め)「喜びのおとずれ」

第一に、クリスマスが喜びのおとずれなのは、神は私たちの祈りを覚えてくださっているからです。神は私たちのどんなに小さな祈りも忘れておられません。私たちはあきらめずに祈ることを大切にしましょう。たとえ私たちが祈ったことを忘れたとしても、神は私たちの祈りを決して忘れることはないお方です。

 

第二に、クリスマスは喜びのおとずれです。しかし、私たちの状態が、祈り始めたころと変わっていたり、あきらめたりしていて、神の祈りの応えにしり込みするとしたら残念です。皆様の若い日の祈りを思い返してください。そして、神が今、私たちに踏み出すようにと招いておられる新しい変化とは何か、思い巡らしてください。

 

  最後に、クリスマスの喜びのおとずれは私たちの救いのためにあるのです。それは私たちが、イエス様を信じて罪の問題を解決される必要があるからです。どうか、イエスの十字架を信じてクリスマスのおとずれを待ち望んでください。